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とら雪

とらゆき

こんにちは、とら雪です。

幼少より絵や文章を書き、就職後にはまった演劇がきっかけで会社を退職。以来漂流中…。

学生時代の専攻は日本文学。卒論は「万葉集の色について」。

今までやった趣味・仕事・取得資格↓
篳篥(雅楽)、能(謡、仕舞)ベリーダンス、フランス検定3級、漫画家アシスタント、中国茶中級茶藝師、草木染め、オリッシー(インド舞踊)など。
ダンサーネームはMeliha。

noteに能お…

10/22(木) 曇

今晩はおでかけなので朝日記。

昨日の夜、お布団に入りながら、そうだあのことも書きたかったんだ〜と思ってたけど、何だか忘れた。何だあのことって。ま、いいか。

朝、お布団の上でごはんを食べながら、Twitterを見る。こんな記事がリツイートされていた。

【意思とジェンダー/江原由美子】
https://www.toibito.com/interview/social-science/sociology/2216

ふむふむ。

ジェンダーの問題は、わたしにとってはとても大きい。わたしじゃない人にとっても実はとても大きいけれども、それを重要視しない人は一定数いるだろう。ジェンダーって、簡単に言うと環境問題なのだ。

この文章の中で初めて『ハビトゥス』という言葉を知る。
ウィキペディアによると、ハビトゥス(habitus) は「人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。」とのこと。人があらゆることからもっとも自由であると思われる「意思」ですらも、環境や習慣によって作られているという…なんたらおっそろしい!

そんなわけで、近頃は作品を見る時にも、少年向けアニメは、逃げちゃいけなくて誰かを守らなくちゃいけなくて男の子だから頑張らなくちゃいけなくて、とかを見ると、心がザワザワする。ありえないほど女の子の乳が揺れたり、不必要に男性目線のカメラアングル(女性のお尻の後ろから、とか)もザワザワする。

自分が創作する中でも、作品中に、自分の嗜好が現れるのは仕方がないけれども、少年少女向けとするなら、ジェンダー的プロパガンダがそこにないかどうか考えてしまう。ジェンダーは「考えたからってどうにもできないかもしれないけど考え続けていることが重要」ということの1つなんだろう。

「300年後Y遺伝子消滅説」を考えると、これまでの男女のよくわからん争いも茶番にしか思えなくて(だって生き物の性別は元々なかった(単細胞生物というの?なんかアメーバみたいのが細胞分裂して自分を増やしていた)し、将来またなくなるんなら)、違いを楽しめるのがいいよね。そういう作品が作れたらいいなとか思う。というか、その前にそもそも作品書けてないから書け、自分。

朝日記書くと真面目だな。脳が生きてるからか?

夜は久々に観劇。楽しみ☆

皆様もよい1日を♡

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