未来に手を振る
こんにちは。
うーん。本格的に石垣行きを考え始めているのです。
私はこの年末年始を逃したら次にいつ行けるかわからないから。
石垣島。
なぜ行きたいのか、もう書かなくても知っている方もいるとは思いますが一応。
南十字星を見に行きたいのです。
今年の春に他界した友達のひぃちゃんが、ずっと見たがっていた南十字星。
一度は沖縄旅行を一緒にすることになって石垣まで足を伸ばす話も持ち上がったのですが、南十字星が見えない時期だった為、諦めてまた一緒に行こうと約束をしていたのです。
「日本で見られるのに見ないなんて人生を損している」とまで言わしめた願いだから、私が代わりに叶えたいと思って。
そういう理由で行きたいのだけれど……
一人旅になるかなぁ……どうだろう。
急に行くことになるとそうなるかなぁ。
まぁ私は別に一人旅でも大丈夫なのですが、問題は行ったとして見ることが出来るのかというのと先立つもの(汗)
滞在が短いと旅費は抑えられるのですが、予備日のようなものを用意してしまうと、どうしても旅費がかさみます。
うーん……
冬の間は曇りが多いって聞いたからなぁ。(沖縄の友達談)
実際は石垣はどうなんだろう。
それに石垣に行くとなれば私はメイシアの取材もすることができるから一石二鳥なんですけどね。(現在メイシアはサントリーニ島にいますが)
本当に見たがっていた故人がいないのに、私がそれを見て一体何になるのか。
そういう思いもどこかにあるのはあるのだけれど、私がやりたいと思っている間はやるべきであるし、「やってあげたい」ではなく「やりたい」と思うのだから、それは私の思いだけでは無くてひぃちゃんの思いも乗っかっている気がするのです。
彼女はどうして、そんなに南十字星に魅かれたのだろう。
そこまで突っ込んで聞くことも無かったなぁ。
ただ「南半球に行かなくも見られるんやで!見ない手はない!」と言っていたので、お得感なんだろうか(笑)
でもお得感だけでは説明がつかないような熱があったんだよなぁ。
私が南十字星が出て来るお話で思いつくのは「銀河鉄道の夜」。
これはお互いが特別に好きな話だった。
この辺りからインスピレーションが有ったのだろうか。
もう彼女は南の島から南十字星を見上げるのではなく、サザンクロス駅で下車しそこから私たちを見ているのかもしれない。
彼女の好きだった清水玲子さんのお話を思い出す。
恋人?友達?に、亡くなった思い人の生きている姿を見せてあげる為、その頃の地球が見える遠くの星まで旅行をするというお話だったと思う。
光が届く速さの関係で、遠くに行けば昔の風景が見えるという。
私たちが見ている星の光も何万光年前の物。
もしかしたらこの瞬間は、爆発して消え去っているのかもしれない。
お話では凄まじい性能の望遠鏡によって、思い人を見ることができるのだけれど。彼女も南十字星から私が見上げる姿をずっと未来に見てくれるのだろうか。
そう思うと、ちゃんと手を振ってこよう。行く意味がある。
「え?なんで?もしかして見えてるの?!」とひぃちゃんを驚かしたい。
あー、会いたいなぁ。
会いたくて仕方ない。
今さらながら、長い間友達でいてくれてありがとうって言いたい。
ありきたりなことだけれど、どうして人は失くしてから大切なものの大きさに気が付くんでしょうね。
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