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てれすこ

2020年8月13日(木)思い出した話

母の姉が大塚から都電で三つ四つ行った所に住んでいた
その家は二階建てで、小さな庭があり下に一部屋と台所、トイレと風呂がある
一階の部屋は居間でもあるが、一緒に住んでいる祖母の寝室でもあった

叔母は叔父と二階に住んでいた
二階は二部屋

私の記憶では、ある日叔母の家に泊まりに行くはずだった
しかしなぜか泊まった記憶がない
小学校の3年か4年の頃だったか

3人で住んでいた家が祖母が亡くなり、叔父が亡くなり
認知症に掛かってしまった叔母が施設で亡くなり
家の始末をしなければならなくなり、長兄夫婦と片付けをした
中学校の校長をしていた叔父の日記が見つかり、そのあまりにも美しい文字と私たちが子供の頃の様子が少しだけ書かれていることで捨てるのが惜しくなり、家に送ってもらった

そして泊まるはずだった日の顛末を、その日記から知ることになる

その日、叔母の家に泊まることになっていたのは私だけではなく
次兄も泊まることになっていた

事件は夕飯の時に起こった
私と次兄がご飯を食べる様子を見て、叔母が余計なことを言ったのだそうだ

Kちゃん(次兄)はご飯を食べるとき回りをチラチラ見る

と嘲笑を含んだ口調で言ったのだ
その様子が卑しいから止めろと言いたかったのか
真実は解らない

その言葉を聞いて次兄は怒って帰ってしまったのだそうだ

私の中からは次兄と一緒に叔母の家でご飯を食べたことは、記憶から抜け落ちている

私はその日泊まらずに家に帰った

次兄は多分小学校の高学年
思春期になりかかっていたから、多感な時期だったのだろう

日記では叔父が叔母の不用意な発言を諌めて、叔母が不貞腐れるような様子がかかれていた

この頃から次兄はプライドが高く、瞬間湯沸し器のような性格をしていたのだろうか

人付き合いの下手な人間であった

小学校もいじめにあって転校したと言うような事を聞いた覚えがある
級友にも瞬間湯沸し器のように怒鳴り付けていたのだろうか

私もよく怒鳴り付けられ、殴られた
最初のうちはピエンピエン泣いていたが、あるとき殴られて泣かずに次兄をジッと睨み付けた
そのときから私は怒鳴られることも殴られることも無くなった

そして年月が経って、末期癌の母を病室で怒鳴り付け恫喝する様を見ることになるのだ

家出した私の代わりに、母を怒鳴り付けるようになったのだろうか

病室で私は弱々しく
ーお兄ちゃん怒らないでー
と当たり前のことを言うしかなかった

あの様子では病気の母を思いやることなどいっさいなかったのであろう

そのときの次兄は四十代半ば過ぎ、実家で
親の脛をかじっていた

10年以上勤めた会社が倒産してからは、二度と働くことはなかった

巨大な団地の一室で母と二人暮らしていた
母が亡くなるまで

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