冷徹斎貫徹は、人間の文化に憧れて、亡者たちをからかうのが大好きな等活地獄で働く獄卒だ。

ある日、閻魔大王から100年に一度行われる十王の慰安旅行を企画してほしいと命じられ、浮世に召喚された。

不慣れな環境に身を置きながらも浮世を楽しむ貫徹の前に、家出した閻魔大王の息子やら、内定がもらえなくて悩…


「完全に見失ったどこだあいつは?」


 私は焦っていた時間が経つにつれて男の顔や風格などのどんどん忘却していく。そのうち存在すらも潜在意識の中から消え去ってしまう気がする。それにしてもあの男は何だったのだろうか、地下鉄の階段の手前、中途半端に伸びる屋根のある部分に足を踏み入れたところで、私は一度傘を畳んだ。


「ちょっとそこのあんた‼」


「あたす」


 突然甲高い声で指をさされたものだから私は思わず人差し指で顔をさし地獄の獄卒に似合わぬ言動をしてしまった。


「あんたよ‼ あんたどうしてくれんのこのスーツお気に入りなのよ」


 どうやら傘についた水滴を払おうと傘をふるったとき思いのほか大粒の水しぶきが飛んで彼女のスーツにかかってしまったようだ。


「すまない、考え事をしていて……」


「はぁ! あんた人の服を汚しといて何を考えてたって言うのよ!」


「何を考えてったって、あれ?」


 はて、私は何を考えていたのだろうか、うーんと唸りながら私は自分の顎をさすり何を考えていたかを真剣に考えていた。


「しらばっくれんじゃないわよ! 弁償よ弁償」


 彼女は目を見開いて自分の着ているスーツを私に向けて引っ張り汚れた部分を見せつけてきた。たしかに浮世で使われる五百円硬貨ほどの大きさの泥が付着している。


「あぁごめん」


「ごめんってそれだけなの?」


「あぁわかったわかった弁償はあれだけど、クリーニング代は出すから」


 私は彼女に対してだいぶ参っていた。まして彼女の怒りは収まりそうもない。まったくこれしきの事で頭に血が上るとは現代の人間はカルシウムが足りていないのだろう。とにかくはやくここから立ち去りたい。


「じゃあお金はあとで払うから」


「待って!」


「今度はなんですか?」


「その言い過ぎたわ、ごめんなさい私いらいらしてて……」


 急に別人のようにしおらしくなった彼女は怒る権利を放棄し、それ以上に戸惑っている様子だった。


「別にいいって」


 そのまま階段を降りて行こうとしたが彼女は慌てて私の前に立ち塞がった。


「それじゃあ私の気が済まないわ、お詫びをさせてほしいの最近できた感じのいいカフェがあるから奢らせて」


 意外な提案に私は完全に虚を突かれた。



「さっきは本当にごめんなさい」


 向かい合って座った彼女は申し訳なさそうに改めて頭を下げた。私は数分前とまるっきり違う態度の彼女に正直困惑を隠せなかったが、泣け崩しの笑顔で応戦した。


「でもしっかりクリーニング代はだしてくださいね」


「もちろん、元はといえば私の不注意からこのような出来事になっているのだから当然だ」


「そうね、うんそうだわ」


 彼女は表情の強張りをなくし、徐々に頬を赤らめていた。まぁ当然だろう今の私は若い人間女性から見ればずいぶん魅力的な容姿をしているし、身に纏っている衣服もこの時代の流行に合わせてもらったものだ。見た目で嫌悪感を与えることはまずない。

「自己紹介がまだだったね私は仁藤恵美子、恵に美しい子とかいて、えみこよ」


「私は冷徹歳貫徹という」


 恵美子は私の名前を聞いた途端口に含んだアイスコーヒーを吐き出しそうになる。どうやら笑いをこらえているらしい。


「変わった名前ね、私の大学にもそんな変わった名前の人いないわ」


「そうかい、私は気に入っているのだが。なんせ私の父が名付けてくれた名だ」


 そう言って自慢げに胸をはる私に恵美子はとうとう我慢できなくなり声にだして笑った。私が失礼だぞと注意すると、


「ごめんなさい、でもあなたのお父さんかなり変わってるわね自分の子供にそんな時代劇みたいな名前をつけるなんて。貫徹くん大学でからかわれたりしないの?」


「そんな奴はいないなぁ、というかみな同じような名前の奴ばかりだぞ」


「なにそれ、変わった名前の人を集めたサークルでもあるの?」


 話しの流れの中でどうやら彼女は私を自分と同じ大学生だと思ったらしい、それならばそっちの方が都合がいい。まさか地獄の鬼で職業は罪人の刑を執行する獄卒、おまけに寿命という概念がないのだからなおさらだ。


「ところでどうしてそんなにさっきは苛立っていたんだ?」


 しかしこれ以上自分のことを詮索されるのは気が引けるので私は話題を変えることにした。すると恵美子の顔は曇り始めみるみるうちに体をこじんまりさせる。


「実は今日就活で嫌なことがあって」


 恵美子は現在大学四回生で絶賛就活中ということだった。さっきまであんなに楽しそうに喋っていたのに自信なさげな小さい声でぼそぼそと話を続けた。あまりに小さくこもる声だったので私は聞き取るために前のめりになって聴き耳を立てる。話によると恵美子は都内の有名私立大学に通う学生で某広告大手企業の内定を狙っているという。


「すごいじゃないか」


 正直そのなんたら大学とやらもなんちゃら会社のこともよく分からないし、さほど興味もないが私は精一杯相手を称賛して、ちゃらんぽらんな学生を演じていた。


「でもぜんぜん内定をもらえなくて、今日だって面接官の反応は良くなかったしどうせ落ちてますよ」

「反応が悪いとダメなのかい?」


「ダメだよ、貫徹くんだって就活してるでしょ?」


「いや特にそう言ったものはしていないけど」


「えっ! じゃあもう内定もらったの? どこどこ不動産? メーカー? もしかして広告関係?」


「うーん、役人みたいなものかな」


 役人という言葉を聞いて恵美子のまなざしが尊敬のまなざしにかわった。



「すごいね、じゃあ将来は安定だ」


 今度は恵美子が羨ましそうに言った。そのあとすぐに私なんてと自傷しながら残り少ないアイスコーヒーのグラスに入った氷を指先でぐるぐる回した。


「すごいかな、役人なんて基本的に言われたことしか出来ないし、退屈な仕事だと思うけど」


「でもいいじゃん、安定してるし人生勝ち組って感じで。私の周りに公務員目指そうって子がいないから尊敬しちゃうな。私なんて終わってるよさっき第一志望の企業からのお祈りメールがきてつい感情的になっちゃうし」


「お祈りメール?」


 私は首を傾げた。就活生に何を祈ることがあるのか、健やかな健康とか?


「嫌み奴だなぁ、お祈りメールって言うのはあなたこの会社に不必要です、さよならばいばーいってことなの」


 恵美子はスマートフォンを私の眼前に向け頬をぷくっと膨らませた。


「なになに、仁藤様先日は弊社の面接にお越しいただきまして誠にありがとうございました。慎重に検討させていただきましたが誠にうんぬんかんぬん」


 私がその一文を読み上げると恵美子は再びうつむき最後の行を読もうとしたところでスマホを取り上げた。


「もう意地悪、改めて読み上げなくてもいいじゃない」


「あぁごめん、でも恵美子はこのなんたらって会社に入りたいんだろ?」


「そうよ」


「じゃあさもう一回その面接とやらを受けに行けばいいじゃないか」


「あのね、私をバカにするのも大概にしてくれる? そんなことできるわけないでしょ」


 今度は恵美子が首を傾げた。私は恵美子の手からスマホを抜き取り企業から送られてきたお祈りメールの文面をまねてメールをかき上げた。


「ほら今そのなんちゃら会社に送っといたよ」


 再び恵美子にスマホを返すと恵美子はメールの文面を目で追ってすぐに飛び上がった。


「もうなにしてんのよ!」


 私が考えた文面はこうだ。


『なんちゃら株式会社 ○○様

 こちらこそ先日は面接のお時間をいただき誠にありがとうございました。こちらでも慎重に検討した結果私は充分に次の面接に進むに値する人間だと判断いたしました。つきましては次の面接日程を決めたく御社側のご都合の良き日程を頂戴できれば幸いですよろしくお願いいたします。仁藤』


 うむ、自分の主張をはっきり申しながら謙遜するところはしっかり謙遜する我ながらいい文面である


「絶対厄介な奴だと思われた。どうしてくれんのよ」


 恵美子は涙ながらに訴えてきたが私はがんと譲らず態度をとる。


「別にこれくらいしてもいいだろう、話をきけばなんだ、たった一回の面接とやらで人間風情が他人の何を分かるというのか、一人の亡者をさばくのに天界では十人の裁判官がじっくり時間をかけて天国か地獄かを判断するのだぞ。誠に遺憾である。お祈りメールなど愚の骨頂恐れるに足らずだ。それにどうせダメだったんだろう、じゃあ厄介と思われようが何だっていいじゃないか」


「そんなの詭弁よ」


 恵美子はひどくうなだれて、涙目で私を見つめ力なく微笑むと「でもありがとう少しだけ元気になったかも」そう言った。