仕事に家事に学業と⋯⋯。何かと忙しない社会を生き抜く現代人にとって、今やスマホは切っても切り離せない存在となった。
 連絡手段として使われるのはもちろん、時代に乗り遅れないようネットで情報を仕入れ多くの人がソーシャルネットワークを活用し、人と繋がることで安心を得ている。
 今や、目覚まし時計では…

 物語全体のあらすじ


 歩きタバコやポイ捨ては絶対にしてはいけない。しかし、歩きスマホはどうだ?画面に夢中になってたまに人にぶつかったりはするものの、気づくとまた、無意識のうちにスマホに触っている。SNSを常にチェックし、他者からの評価に縛られ気付くとそれだけの生活になっていたり。適度に離れるべきではないか?極端に捨てろとまでは言わない。いつでも捨てられるくらいの勇気を持つべきではないか?


 現代社会において若者がスマホを持つのは当たり前だ。持ってないと会話についていけない。仲間外れにされる。恥ずかしい、そんな気持ちにすらさせられる。


 反対に持たない人が存在するのも紛れもない事実だ。その一人が主人公の一人、圓山菫だ。なぜスマホを持たないのか。その理由は彼女が抱える病にあった。彼女はナルコレプシーという病気だ。立ったまま突然睡魔に襲われ知らない間に倒れてしまう。手からスマホが滑り落ち、今まで何度もスマホを落としてきた。もちろん、彼女もみんなと同じように持ち歩きたいという気持ちはある。しかし、修理に出したり買い換える回数が増えてしまったため、いっそのこと持つのをやめようと決意したのだ。


 呉もスマホを持ち歩かない人の一人。彼は、いつも辞書を持ち歩き何か気になることがあればそれで調べるようにしている。なぜスマホを持たないのか⋯⋯。それは彼の暗い過去に原因があった。彼は幼い頃、大好きだった母をスマホの脇見運転による追突事故で亡くしている。この時、呉は事故で亡くなった母のために自分はスマホを持たないと決心したのだ。


 同じ高校に通う二人。高校二年生の春、クラス替えで同じクラスになる。二人のクラスに宇崎という転校生が学校に転入してくる。彼女は登校初日、自己紹介の際に、スクールカーストの小鳩に目をつけられいじめられてしまう。絶望し自殺を図るがギリギリのところで圓山に救われる。宇崎にとって転校して初めてできる友達が圓山。病気が原因で友達ができなかった圓山にとっても宇崎が初めての友達となる。その後小鳩は、宇崎にいじめたことを謝罪し、打ち解ける。その際、圓山と幼馴染であることを打ち明ける。


 圓山は小学生低学年、小鳩と一緒にキャッチボールをして遊んでいた時、頭にボールを当てたことにより記憶喪失になってしまった。当時、二人は両思いであった。しかし、圓山は小鳩に対して好きだという感情を失ってしまった。高校生になり圓山は、同じくスマホを持たない呉英司と距離を縮めていく。


 記憶喪失でナルコレプシーという病と闘う圓山と幼馴染の小鳩、転校生だった宇崎、そして謎の多い呉を中心に物語は進んでいく。



 プロローグ


 今はインターネットさえ繋がっていればどこでも好きな場所へ行ける。そんな時代。

 そのせいか、昔の僕みたいに道に迷い泣いている子供をあまり見なくなった。

 それは出生率が減ってしまっているせいなのか、それともスマホを持つ子供が増えたせいなのか。家にだって簡単に辿り着ける。

 

 一方、少子高齢化とよく耳にするように、街に出ると、お年寄りの姿をよく見かけるようになった。比例するように、お年寄りが道端で困ってる姿というのも多く見かけるようになった気がする。

 お年寄りが重い荷物を持って横断歩道を渡っていることに気付いたら、君はどうする?手伝ってあげるか、それとも無視してそのまま通り過ぎるか。

 

 僕は昔から、自分のことを置いてでも手伝うという選択をしてきたつもりだ。

 本能的なものなのだろうか⋯⋯。決して正義感が強いというわけではない。僕は昔からおじいちゃん子だったから。

 とにかく、どこに行ってもお年寄りの姿が目立つようになった。スマートフォンを持ち歩く高齢者も増えた。


 しかしまだまだ普及率は低い。さすがに杖をつきながらスマホを操作するなんて器用なことをするお年寄りは今まで見たことがない。

 さっきも話した通り、僕は困ってる人を見かけるとどうしても助けてあげたいという欲求に駆られてしまう。

 

 本当に困ってる人に対して、人の言うことを何でも聞き、そつなくこなしてくれる賢いロボットスマートフォンはどうするだろう。きっと、一台ではどうすることもできないだろう。

 

 人間はその知能スマホに頼りすぎて誰もが人生すら左右させられているということに気づいていない。正確に言うと気づこうとしない。それは人間が頭が良すぎるから。その機械があまりにも便利すぎるから。

 

 そして、依存しなければ時代の波に乗り遅れてしまうから⋯⋯。しかし、僕にとってそんなことは些細な問題でしかない。僕が最も危惧しているのは“睡眠不足”だ。人生の三分の一は睡眠というように寝ることは人間の基礎となってる。しかし、それスマホに夢中になるあまり睡眠時間が削られる。気づくと朝方なんてことは誰しも経験があるだろう。


 これは大人だけの問題ではない。未成年や小さな子供にまで影響を及ぼしている。それなのに、どうしてそこまでして人間はそれを持ちたがるのだろう。画面の明かりが恋しくなるのだろう。電子機器携帯電話を人類が持ち歩き出したのはここ数年の話。地球史の中でそれはまだほんの一瞬の出来事に過ぎない。

 

 スマホによる犯罪、いじめ、歩きスマホ、ながら運転。それらは、様々な社会問題を引き起こしている。警察は別として、多くの人は歩きスマホを注意しない。わざわざ注意しようとしない。あまりにもそれが常態化しすぎてしまったため、注意したところで何も変わらない。多くの人はそう思っている。

 電子機器とやらに一瞬目を逸らしたがために大事故を起こし、後遺症を負ってしまったり、相手に負わせてしまったり、中には死んでしまった人もいるというのに⋯⋯。

 

 僕はその事故を経験し大好きだった母親を亡くした。多くの人は見て見ぬ振りをする。そんなこと、自分に起こるはずがない。そう言い聞かせ、なんとか自身の誤った考えを正当化させようとする。

 

 僕たちは何か忘れてはならないことを忘れてしまっている気がする。いや、忘れたふりをして大事なものを遠くに置いてきぼりにしている。

 この先、僕たちはどうなってしまうのか。いや、どうなっていくべきなのか⋯⋯。

 もはや、これは他人事ではない。


 僕たちの問題だ。