カーネーションを君に

作者花柄

口数が少なく不器用な僕、そんな僕になぜか歩み寄ってくれた彼女。2人が過ごしたなんでもない僅かな日々は、時を経るごとに色味を増していく。




「さっきはごめん」



震える声でそう伝える。水面に一滴のしずくが落ちるように、静寂に声が響いた。


「もう、いいよ」


彼女から返ってきた言葉は許しではない。

諦めと拒絶だった。


過ぎてしまったことにどれだけ心を込めて謝り、後悔しても、もう遅いのだと、僕はその時知った。


振り返ってみれば、彼女と出逢ってから僕は自分の知らない自分に気づかされることばかりだった。遅刻した時に実はあまり申し訳なく思っていないこと、店員さんに服を勧められた時の愛想笑いの酷さ、美味しいものを食べているのにまるで美味しくなさそうにウマイと言うこと。


「顔を見てれば分かるよ」


と彼女は言うので、そうなのだろう。彼女と出逢って自分が不器用なのだと知った。それまでの人生といえば特別に人と接することもなく、客観的に見られている自分を知る術を持っていなかった。僕は自分のことをよく分かっていないのに、僕の周りにいる人の方が僕のことを知っている、なんと滑稽な。






「もう、いいよ」


その言い方が頭から離れないまま、2ヶ月が過ぎた頃。世界は真夏と呼ぶにふさわしい暑さになり、毎日照り付ける太陽が鬱陶しくてうんざりしている。もういっそのこと南半球にでも行ってやろうかと思いながら自販機でサイダーを買った。ゴトン、という音と共に落ちてきたサイダーを手に取って蓋を開ける。

少しは涼しさが手に入るだろうかと思ったその時、自販機の向かいの家に犬がいることに気がついた。手入れされた植木の奥に中型犬がいて、その犬が僕に向かって威嚇するように吠えている。一体何をしたっていうんだと言いたくなるくらいに吠えられているのだ。気にせずサイダーを飲む僕、喉をつたって体内に流れ込む冷たさを心地良く思っていると同時に、目から涙がこぼれ落ちた。


「っあれ、なんで、泣いて…」


独り言なんて言う人間ではないのに思わず口から言葉が出る。彼女との間にサイダーの思い出があった訳でも、犬の思い出があった訳でもない。一緒に過ごした夏もないし、自分でもなぜ泣いているのか分からない。ただ涙が止まらなかった。

声を上げて泣く訳でもなく、一粒ずつ頬を流れていく涙が熱くて心底嫌になる。


君が居なくなってから初めて、泣いたよ。

誰にも聞こえないくらいの声で、自分の影を見つめそう呟いた。



「さっきはごめん」


そんな簡単な言葉じゃなかった。僕があの時言わなければならなかった言葉は、もっと長くて、もっとこう、なんていうか。どれだけ考えてももう居ない彼女に伝えることはできない。彼女が僕にかけてくれた最後の言葉が「もう、いいよ」になってしまったことを、僕はこれからもずっと忘れられずに生きていく。