時は南北朝時代。後醍醐天皇が不思議な運の巡り合わせによって天皇の地位を手に入れたその時代。熊本県のとある地方に菊池一族と言う一族がいた。
 歴史にドップリ埋もれたこの一族の名は、土地名にもなっているのにもかかわらず、熊本県民はほとんどその存在を知らない。
 槍を使った画期的な戦い方法を編み出し、…

第十三代当主 菊池武重は、一族を集め

日本最初の「血判書」という形で

ある誓いを立てた。


寄合衆内談よりあひしゅなひたんの事』


後に「菊池家憲」と呼ばれることになる

一家の掟。


三条からなるこの掟は、当主である武重と

庶子一族の任務と権限を定め

一族代表者の議会とも言える

「内談衆」の会議のあり方を示している。


《第一条》

天下を左右するような大事については

内談衆の議決があったとしても

最後の決断は武重(当主)が行う。


《第二条》

国の内政については

たとえ当主が優れた意見を出したとしても

内談衆の意見が一致しなければ

その案は採用しなくてもよい。


《第三条》

一族内部での係争ごとを禁じ

鳳来山聖護寺の教えの下

家門の繁栄が仏教の正当な教えとともに

永久に続くことを願う。




それから500年以上の時を経て

この起請文は再び光を浴びる。


明治天皇が制定した「五箇条のご誓文」。

この中の一条


「広く会議を興し、万機公論に決すべし」


この菊池家憲の精神が

維新十傑の一人

熊本出身の横井小楠から


坂本竜馬や

五箇条のご誓文の起草に当った由利公正に伝わり


参考にされたと言われている。

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寄合衆内談の事


一、天下の御大事は、内談の議定ありと言うとも落去の段は武重が所存に落とし付くべし。


一、国務の政道は内談の儀を尚すべし。武重すぐれたる議を出すと言うとも、管領以下の内談衆一統せずば、武重が議を捨てらるべし。


一、内談衆一統して菊池の郡に於いて訴え事を禁制し、山を尚して五常の義を磨し、家門正法と共に竜華の暁に及ばん事を念願すべし。


謹んで八幡大菩薩の明照を仰ぎ奉る。


藤原武重


延元三年七月二十五日