派遣先での仕事が慣れずストレスがたまり退職を決め、唯一彼女の手助けをしていてくれた阿部に退職する旨を告げると、阿部も同じ日に退職することを聞かされ、その場でデートに行こうと誘われ深大寺へ行くことになった。初めてのデートはどうなるか?
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二十九才になる泉健作は自宅のある東京の隣の県のテーマパークで五年前から働いている。
十二月二十六日、今年もあと五日を残すばかり、クリスマスイベントが終わり大晦日のカウントダウンのイベントまでは少し暇になる。朝の立ち上げ作業を終わらせ、開園し店内が落ち着いたところでブレイクタイムになり専用通路より従業員食堂に行くと、昼のピークタイムともありテーブルは満席状態だったが、まずは料理コーナーで一番安いラーメンの列に空のトレーを持ち並ぶと先客が六名ほどいたが同じグループのようでその中ん耳に触る甲高い大きな声で飲み会の打ち合わせをしている女性がいる。麺の湯切りをして盛り付けをしようとしているキャストはチラリと大声の方へ目を向ける。にこりとした笑顔の奥に怒りのような思いが見える。
「お待たせ致しました」と騒がしい六人組を追い出すように出来上がったラーメンをトレーに置いた。
そのあとはリズムよく次々とラーメンを仕上げ、健作のラーメンもすぐに出来上がった。プラスチック製のトレーに乗せたラーメンが滑り落ちないように会計コーナーのレジに並ぶ、レジは二台あるがいつも笑顔で軽いジョークを言ってくれるキャストの列を選ぶと
「二百二十円になります」の言葉に健作は
「ウォーターメロンで」と言うと
「スイカですね」と差し出したカードを読み込み
「行ってらっしゃい」と笑顔で答えてくれた。
会計をすませ空席を探していると、健作と同じコスチュームを着た同僚が右手を上げ呼んでいる。左手は自分の前の席を指さし小刻みに動かしている。ここ空いていると彼女の非常にわかりやすい動作だった。
「ありがとう」と彼女の前の席に座ることができた。
彼女は同じ店舗で働く下村いずみ二十八歳、すこし天然が入っており、いつもこちらからの問いかけに真っすぐな回答をもらえることがないが、時にしてこのようにうれしい行動を起こしてくれる。席に着きラーメンを食べ始めたところで
下村が「何時まで」と健作がラーメンを口元に運んでいるときに聞いてきた。ブレイクタイムが終わる時間が何時までという問いかけだろうと察し
「あと四十分」というと口をもぐもぐさせて言うと。
「わたしはあと三十分」と鼻の穴をもぐもぐさせ答えたが、そのあとの言葉はなく手元のスマホに集中している。口元にカレーのルーがついていたが健作はそれを教えるかどうか悩みながら下村に
「今日はカレーライス食べたろ」と言ってみた。
「うぁー 気持ち悪いあなたわたしの心の中に入り込んでる。どうしてわかるのよ」
「健作は君の心の中は何でもわかるんだよ」と手元のテッシュを渡そうとしたら、カピパラが目を閉じるようにあごから口を健作に突き出し目を閉じている。
健作は手に持っていたテッシュで口の横のカレールーを拭き取った。
「なにしているのよ」と怒られるかと思いきや、何ごともなかったように下村は自分の世界に入っているようだ。
時折話しかけられたと思い、ラーメンどんぶりから目を彼女に向けると、健作への問いかけでなくスマホに話している。
知らない人がこの光景を見れば、少しおかしな人かな? と思うだろう。健作は移動用に使用している透明のケースから読みかけの本を取り出して左手に文庫本を持ち右手でラーメンをと器用に行儀の悪い食べ方をしている。
「明日は」と聞こえたが、また下村の独り言と思い本を読み続けていると、「明日は」と再びトーンをあげた声が耳に入ってくる。
「あっ おれ」と開いていた文庫本のページにしおりを挟み閉じた。
「そうよ、わたしの前にはあなたしかいないでしょう」
「八時からだよ」と答えると、そのあとの会話はなく彼女の目はスマホに戻った。
健作は未だにガラ携帯を使いスマホに対してはあまり興味がない。最近は職場のシフトや連絡事項などはほとんどスマホなど行われているが、遅れて棚に置かれる文書化されるファイルをみてどうにか切り抜けている。こんな健作を周りではアナログ世代と言い、催しごとや仲間どおしの連絡にも参入できない。時代の流れか? スマホを持っていなければ取り残されてしまいそうで、いや流されてしまうと思っている。
職場内では何組かのグループがラインやメールなどでつながれている。どのグループにも属さない健作は周りからは孤独のようにみえるが、何のしがらみがなくマイペースで働けるので本人はその方が良いとも思っている。
この時期、忘年会とかの連絡網なのか食堂内のあちこちから、ラインやメールの着信音が耳に入ってくる。
そのような周りの雑談の谷間で時折「検索だよ」と聞こえ、自分が呼ばれたと思い声のした方へ振り向くと
「店の情報は検索すればすぐわかるだろ」と会話をしている。
自分の名前、健作を呼ばれたわけではなかった。こんなことはしょっちゅうで、街中を歩いているときも自分の名前が呼ばれたのかとびっくりとしてしまうことがよくある。
その時、目の前の下村のスマホからラインの着信音が聞こえた。
その画面を鼻の穴をピクピクと動かせながら
「なんじゃもんじゃか」と声をあげた。
健作はその声に「なんじゃもんじゃの木、知っているんだ」と言葉を返すと
「当然でしょう、昨日も『紅葉の会』で行ってきたばかり」とグループの集まりに行っていたようだ。
健作は深大寺の「なんじゃもんじゃの木」を思い浮かべ
「紅葉の会」と言うだけあって、深大寺へこの時期に行くなんてシャレているとおもいながら、
「冬の深大寺もよかったでしょう」と健作が言うと「会費の負担が多くて大変」
「電車代と植物園などの入園料ぐらいなのにいくら払ったの」
「植物園なんて行かないよ、月島着いたらすぐ店へ行ったから」会話がまた脱線してしまったようだ。
天然の下村は複数のグループのほとんどから声をかけられている。彼女は天然な性格だからだろうか、特に好き嫌いが感情に現れないので、グループなどの催しがあると、このようにメールやラインで誘いを受けて数合わせにはもってこいの人材だった。
「なんじゃもんじゃの木どうだった」
「美味しかったけど、ベロ火傷しちゃった」
「美味しいって、火傷って、なんで木を食べたの」
「バカじゃない、もんじゃ焼き食べないでなにするの」
健作は深大寺の「なんじゃもんじゃの木」と思い会話していたのだったが、下村は昨日もんじゃ焼き屋での忘年会に参加していたのだった。そして今日別のグループの集まりでも、もんじゃ屋へ行くとラインが来たので「なんじゃもんじゃか」と画面に答えていた。「何なの、そのなんじゃもんじゃの木って」と聞かれた後すぐに下村は「あっ 一大事」と慌てた。
下村「一大事じゃなく、深大寺だよ」と泉は下村に答えたが
「ブレイク時間過ぎちゃった。一大事、一大事」と目の前の食べ残しの皿などがのせられたトレーをそのままにして走り去っていってしまった。
天然さんはパニックになると周りのことが何にもみえなくなって一直線にすすんでしまう。
仕事を終え出口ゲートをでて歩道を駅方向へ歩いていると、後ろの方から「健作、健作」と聞こえたが、いつもの「検索」だろうとそのまま歩き続けていると、背中を平手で「パン」と叩かれ「なに無視しているの」と後ろに下村が健作に鼻の穴をピクピクさせながら怒っている。
「あぁ ごめん気がつかなかったよ」と歩きながら謝ると、
「なんじゃもんじゃの木みたいな」と健作にねだった。
「それじゃ、次の休みの日に行こうか」と健作が言うと
「明日わたし休み、健作も明日休みだね」と健作のシフトが入っていないことを調べてきたようだ。
「じゃ話は早い、明日行こう」と深大寺へ行くことを決めた。
翌日吉祥寺で待ち合わせた二人は、深大寺行きのバスに乗車し二人掛けの席へ座ることができた。席に座るなり下村は、口を大きく開けベロを長く伸ばしながら、健作に「見て見て」ともんじゃ焼きでの舌の火傷を見せた。
健作は目を少しベロに近ずけ下村のベロを見ようとしたら「どさくさに紛れてキスするなよ」と口をもぐもぐさせた。
「キスだなんてバスの中でそんなことしないよ」とあきれていると、
「なんじゃもんじゃの木ってモクセイ科と書いてあったけど、鉄とかプラスチックでできている木なんてないんだから、木製って当り前じゃない?」とまたピント外れたことを言い出した。
そんな会話をしながら深大寺でバスを下車し、公園内を歩きだした二人。
やがて左手に池が見えてきたので健作は池の中を覗きながら、下村に「鯉だよ」と呼ぶと
「まだ手だって握ったことないのに何が恋よ」と池をのぞき込んだ。
「なんだ魚の鯉なんだ」と目をぐるぐると池の中の鯉を嬉しそうに見ている。
健作は下村の手をごく自然に握り「さあ行こう」と池を後にして「なんじゃもんじゃの木」の下まで来た。
この木はヒトツバタコ、四月下旬より開花し、あたかも雪が降り積もったように真っ白に咲き乱れるから、スノーフラワーともよばれ「これはなんというものじゃ?」と尋ねたことから「なんじゃもんじゃ」と呼ばれるようになった。と下村に説明を終え、近くにあった土産屋さんへ行くと下村が「縁結び海運御守を買おう」と鼻の穴をピクピクとさせながら嬉しそうに購入している。
この御守は長野県木島平村の稲を自然豊かな深大寺の水で育てた黄金色の稲が実り良きご縁をと稲穂を納め祈願したお守り、なぜが二個購入して一個を健作に手渡した。御守の袋を嬉しそうに見ながら「わたしあなたと結婚したら、「泉いずみ」と言う名前になるのね、「ワッワッハ」と大きな声で意味しげな言葉を発した。健作は先ほどより力強く下村の手を握りしめ、十二月の深大寺の沿道を歩いている。「お腹すいたね」と二人は蕎麦店へ吸い込まれていく。
下村は突然店の入り口で止まり、「雀のお宿」と書かれた屋号を見ながら、
「いきなり泊りはダメダメ」と健作の手を握り店に入るのを拒んだ。
「雀のお宿という名前のおそば屋さんだよ」と健作は看板を見つめて立ち止まった下村の手を引き店内へ入った。