西暦204年12月15日
曹魏で産まれたのは…
袁紹の孫でございました。
産んだのは曹魏2代目王にして曹魏初代皇帝・曹丕の正室である甄貴《しんき》字は桜綾《ヨウリン》
曹操が率いた曹魏軍が袁尚軍の本拠地である鄴《ギョウ》城を落としたのは西暦204年09月15日の事でした。
懐妊した状態で曹丕に再嫁した甄貴、
書類上は曹丕の嫡男ではありますが
血縁上は袁紹の次男である袁熙の血を受け継ぐ者でございました…。
西暦226年、曹丕が長らく患っていた肺病で他界すると曹叡の叔父である曹宇が即位を固辞したので曹魏2代皇帝として曹叡が即位を果たしました。
曹叡『父上、母上。遂に袁家の血を受け継ぐものが曹魏皇帝として即位しました。』
これが父と母を曹魏に奪われた曹叡なりの復讐だったのかもしれません。
裏切りに次ぐ裏切りに心を痛めながらも曹叡にとっては幸せでした。
何故なら…
※曹叡の出生には諸説有り204年産まれとするものも205年産まれとするものもあります。この物語は作者が史実を元に考えて書いたフィクションの物語になります。※
※ただいまリライト〈書き直し〉をしておりますので読みにくいとは思いますが申し訳ございません。※
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