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俺の主人は俺と同年齢で、尚且つ出来る奴だった。女のくせにやたら肝が据わっているし、厭味な程口も達者な上、戦略をたてるのも腕っぷしもめっぽう強いときていたら、向かうところ怖いものなしだ。そして神さえドン引く最恐の猫かぶり。俺はそんな化け物じみた大財閥の一族の人間の秘書をやっていたのだが、その主人も、さすがに今回自分に降り掛かった「子供が産めない体」という災いは耐えきれなかったらしい。表向きは海外を拠点とする仕事が落ち着いたからあとは兄に任せて自分は日本に場を戻すという理由での帰国だったけれど、厳密に言えばその裏には主人の体の事も含まれていた。日本には事実婚の形をとっている主人の相手もいるし、信頼している人間も多いから。……決して命に別状がある訳ではない、けれど今でも俺は覚えてる。主人が絶望に打ちひしがれているあの姿を。涙はさすがに俺の前では見せなかったし、表向きは溌剌だったけれど、ふと見せる表情の堅さは見てる側の寂しさを助長させるものがあった。子供が産めない体なのは主人のせいじゃない。オマエのせいじゃない。たまたまそういう器を神様から与えられただけなのだ。だけど俺は男だから。その器を持った気持ちは深く理解してあげる事はキッパリ無理だ。だからその時、俺は主人のベッド端に腰掛けて言ったのだ。「子供が産めなくても、オマエの価値は変わらないだろ」と。それとも、「俺が子供になってあげようか」と。滑稽な程それは無理があるけど、でも俺は主人をこの世で兄貴に向ける愛情に近しいものを感じる程慕っていた。主人の事を時に母親のようにも見ていたし、姉や妹のようにも見ていた。いつも憎まれ口叩いて、本心を奴に言った試しはないけれど。でも例えば俺は主人が地獄に落ちたとしたら、堕落したその場所まで付き従ってやれる自信がある。そこまでの覚悟を持っていれば「子供になってあげる」なんて目を瞑って針に糸を通す以上に簡単な事に思えた。まあ、「何言ってんの、千春」と一蹴されてしまったけど。俺はあの時、真剣だったんだけどな。