校舎の3階にある部室に入ると、既に先客がいた。
「先輩、やっぱりここにいたんですね」
私が声をかけると、少しクセのある黒髪をふわりと揺らして、先輩が振り向く。胸ポケットに留められた、赤い花に目を引かれる。私はドアを閉め、ゆっくりと、先輩のいる窓際へ近づいた。
そこで、ふと気づいたことがあった。
「いつピアスなんて開けたんですか?」
先輩の両耳にひとつずつ、小さく光る石があった。ファーストピアスというものだろうか。つい最近まではなかったはずだ。
「昨日。思い立って」
先輩はいつものようにくしゃっと笑って、そう言った。
ぼんやりと、また私の知らない先輩が増えていってしまうんだなあと思った。先輩はいつも、私を置いていってしまう。
「どうやって開けたんですか?」
「ん〜何って言ったらかっこいい?」
「…安ピンとかですかね」
「じゃあそれ。安ピンで開けた」
相変わらず、先輩は笑顔だった。まるで明日も明後日も、変わらずにこの部室に来るかのように、私に会うかのように。
「私にも、ピアス、開けてください」
先輩は驚いた顔をした。そして、微笑んだ。
「それは無理かなあ… なんか、ほら、あの鈴木みたいな奴ならまだしも、十和子は傷つけちゃいけない気がする」
ずるい、と思った。どうして私だけ名前で呼ぶんだろう。鈴木だって、私と同じクラスで、同じ部活の、つまり先輩の後輩なのに。ずっと昔っぽくて嫌いだったのに、先輩が呼ぶ私の名前だけは、好きになれた。
「先輩、好きです」
また、驚いた顔をした。
「えっ今言う?今告白の流れだった?」
私も先輩も、いつも通りの声で、いつも通りの調子で。
「だから、開けてほしいんです」
きっと、他人が聞けば脈絡のない話なのだろう。でも、先輩は、私が好きな先輩は、私の意図を汲み取ってくれる。
そしてまた、微笑む。
「お前が俺の歳に追いついたら、な」
「追いつくって、今の先輩の歳になったらですか?それとも、先輩と同い年になれって言うんですか?」
「さあどっちでしょう!」
私は先輩に、絶対に追いつけなかった。いつだって背中を見て、いつだって後ろをついていくのが精一杯だった。きっと、これからもそう。
外から、先輩の名前を叫ぶ声が聞こえた。
先輩ひ窓の外へ向かって手を振り、それに応える。
そして、私の目を真っ直ぐに見つめた。
「俺も、十和子が好きだったよ」
そう言って、私の横を通り抜け、部室を後にした。
ああ、最後まで、先輩はずるい。
先輩は、過去形で言った。
その過去形の「好き」には、きっと先輩の、「もっと色んな経験をしろ」とか、「お前にはもっといい人がいるよ」とか、「俺のことは忘れろ」とか、そんな言葉が全部詰められている気がした。
そして、その言葉ひとつで、勝手に私の恋を終わらせてしまった。本当に、勝手に。
今日は帰りに、ピアッサーを買って帰ろうと思った。
先輩に追いつけない私にはきっと、まだ使う勇気が出ないだろうけれど。
fin.