寂寥感の無限ループに哀しみで圧し潰されそうでした。感情を全て持っていかれ、乾いた涙を流す彼らの心をぎゅっと抱きしめたい衝動に駆られています。きっと今までの私だったら、史弥のような人を蔑み、罵ったと思うのですが、憎みたいのに憎めない人間性がそこにはありました。今まで構築してきた関係性を知ってしまうと、どうしても切り離せないという瑠唯の感情もわかるような気がして。みんな、どうしようもない淋しさを抑えきれないだけなのかもしれない、と虚しい世界に思いを馳せています。

 私たちは小説を書く時、自分の叶わなかったものなどを含め、彼らに夢を託すというか、解けることはない魔法をかけるというか、誰もが現実逃避の出来る拠り所を創ることがほとんどだと思います。それは確かに美しいものかもしれませんが、只の綺麗ごとだと言われたらそれまでの話で。だからこそ、この作品の、誰かの悔恨を映し出しているところが魅力的に感じています。

 良くも悪くも、この世の中の多くはシビアな空気を纏った煉瓦を積み上げて出来ている。だからこそ、その隙間から吹き込む冷たい風を埋めるよう、私たちは色んなやり方を模索するのだと思います。では、どうすべきなのか。自分に一番合う解答を見つけ出す姿勢が大事なのだと、リアリティー溢れる本作品を拝読した今、そう解釈しています。人の温もりを求め、ランデヴーに恋焦がれる。寂しさの埋め合わせがたまたま史弥の場合は浮気という一つの手段だった。けれどそれが代わりに何らかの趣味だったら、人々は批判しなかっただろうと思い、惨い世界だなあ、と考えました。べつに浮気をすべきだ、なんて推奨しているわけではなく、ただ、心の底から湧き上がる物悲しさを解消する方法を誤ったのかもしれないな、と感じています。私たち人間は結局、独りで生きていくなんて出来ない。けれど、パートナーと寄り添うことなら出来る。現実的な世界に理想をぶつけるだなんて変な話ですが、二人には、今まで傷ついた分、幸せな景色を二人でも良いし、他の誰かとでも良いから目指して欲しい、と願ってしまいます。”都合のいい女”にはなってはいけないのだと頭では理解している半面、一度陥ってしまえば、毒の蜜で充満した泥沼状態から抜け出せるわけもなく。けれど、その泥をコンクリートなどの新しいモノで上書きすることは出来る。勝手ながら、私は瑠唯にはこれから先、笑顔で居続けて欲しいと祈っていて。愛の形を零から築き上げてくれたら良いな、なんて願っています。

 考えが纏まらず、長文となってしまったことお詫び申し上げます。どこで間違えてしまったのか。そんなのわからないし、見つけたところで後悔が消えてくれるわけでもない。ただ、そんな中でも、現実逃避をしてでも良いから、必ずまた戻って、現状を見つめられるような、改善しようと奮起できるような、そんな人になりたいな、と新たな目標が見えました。

 素敵な作品をありがとうございました