真田幸村の生い立ちから生涯まで
1567年(永禄10年)
武田信玄に出仕していた武藤喜兵衛昌幸の次男として甲府で生れる。(幼名弁丸)
1575年(天正3年)
武田軍が織田・徳川連合軍に長篠の合戦で敗北した。その際に真田家当主・信綱と昌輝(幸隆の次男)が戦死。
武藤姓であった昌幸が真田家に復帰し、家督を継ぐことになった。
このとき、幸村は8歳になっていて昌幸、信幸(昌幸の嫡男)とともに真田郷に帰っている。