善は、なぜ金に結びつきにくいのだろうか?と数年前に真剣に考えた事がある。
善は例えば、ボランティアや無償で何かをする行う、与えるという事が思いつく。お金に結びつくどころか、マイナスになる場合もある。
逆に、悪い事は大金が集まりやすいように思える。
例えば、詐欺など人を騙す行為。人の心を巧みに利用してお金を一気に集める…わかりやすく言えば犯罪行為である。
騙される人、ターゲットになる人が裕福とは限らない。恐怖心を与えたり、精神的に参らせるなど汚い手口で陥れるやり方で集めてしまう。
経費をかけず、一気にお金を集める悪の方法は、一生を通してみれば損害を出しやすく結果的にマイナスにつながると思う。
集団心理とは恐ろしいもので、善悪の判断がつきにくく境目がハッキリしにくくなる。
みんなでやれば…は結局はまわりまわって自分自身のマイナスにつながってしまう。
一時期、少しだけ…は、気がつけば一生を揺さぶる何かにつながる。その何かがいい事とは限らない。
何かをプラスに持っていくにはどうすれば?
迷ったら一度立ち止まり自分の周りを見てみる。冷静な目で。
迷うという事は、これでいいのか⁈という理性が働いている証、それは自分を助けるチャンスだと思う。
善も悪も、類は友を呼ぶと関係性は高い。
例えば、悪事はその人間関係から抜けたくても抜けられない。あと悪い事をしているという判断、感覚が鈍る。
のちに捕まるかもしれない、訴えられたり、何かあるかもしれないし、甘い汁を吸えば元の生き方に戻りづらいだろう。
悪とは、総合すると一生を損しやすいというリスクが伴うのだ。
負の連鎖とは、周りの人にも繋がってしまう。そこを考えてみれば、大半の人は悪を前にして立ち止まる事ができるはず。
悪事に流されてしまったお金を、善に回して世の経済につながる事につないでいく事が理想だが、そう簡単にはいかない。
世の負の連鎖を断ち切るのはそうそううまくいかないのが現実。
これは、【2016年9月】に記した文章です。
当時、物語を考える中で、ふと1日で大金を集めねばならない状況に追い込まれたら人はどう動くのか⁈と考え、善悪とお金の流れは関係あるのではないかとの疑問から、思ったままを書いた文章です。