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てれすこ

2020年8月4日(火)

折に触れて、なぜという気持ちが沸き上がる

なぜ自分を大事に出来なかったのか

そもそも次兄はお金の計算が出来たのだろうか?

私と同じような発達障害であれば、計算してお金を使うとか節約するとか、我慢をすると普通の人が出来ることが難しいはずだ

あればあるだけ使ってしまう

購入するもののために、今を節約して我慢するとか一切できない

ある意味欠陥品なのだ

月に六万から七万程度の年金で暮らしていけたのだろうか

暮らしていけなかったからあのようなことになったんだな


私は今、自分の年金と亡夫の遺族年金で月に十万円でカツカツの暮らしをしている

母や夫が残したお金はぜーんぷ使ってしまった
下らないことに使ってしまった
飲み代とパチンコ代
もうなんにも残っていない
もちろん子供の入学費や衣食住塾の費用などは出したし、昼は弁当を持たせた
それ以外の金はみなギャンブルと飲み代に消えた

次兄もそうだったのだろう
母の遺産は多分遊興費に消えたのだろう

お金の計算が出来ない人間が将来の事など考えられるわけがない

なにせ電話がない
こちらから連絡することが出来ない
安いプリペイドの携帯を持とうともしなかった
友も私と同じようにほとんど居なかっただろう
世の中の情報や携帯の使いやすさや、そんなことを教えてくれるのはテレビだけだったのではないだろうか

今時の80才の人間でも使いこなせる携帯電話を持とうともしなかった
持つ金がなかったのだろう

自宅の布団の上で亡くなったのだから、野垂れ死にではない
布団の上で死ねたのだ
上等だよ


私の長男が定時制の高校を不登校になり、古着屋に就職したときに
ー上等だーと母に言ったそうだ
ー盗みをやるわけでもなく、人を傷つける訳でもなく罪を犯さなかっただけ上等だー
と褒めあげていたと聞いた
実にありがたいお言葉だ

私も次兄に同じ言葉を捧げよう

布団の上で自宅で死ねたんだ、
上等だよ



末っ子の私は、息子の年には家出していた
私の家は私にとって居心地の良い家ではなかったのだ
友達の家に転がり込んで暮らすようになる

だから私があの家族と暮らしたのは15年とその後少し戻ったから何ヵ月かだけ

国立大学の付属高校に行っていたのだが、家出して行かなくなり自然消滅のように退学した
その後2度結婚して2度目の今は亡き夫との間に3人の子供をもうけた

子供が生まれてからは毎年実家に帰った

正月の1日だけ

その間次兄は四畳半に閉じ籠り出てきて挨拶することもなかった
1度だけ長男が幼いとき正月に顔を会わせたが、オサナゴに向かって
ーうるさい!ー
と、怒鳴り付けただけだった

次に会ったのは祖母の葬式のときだったか

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