ファン
3

てれすこ

2020年9月4日(金)勉強が嫌いだった

私の母と母方の人間は全員教師だった

祖母は小学校の校長
叔母は高校の家庭科の教師
叔母の連れ合いは一応叔父と呼んでいたが、亡くなってから判るのだが、入籍していなかった
叔父は故郷に妻子を残して東京で叔母と祖母と暮らすようになる
この叔父も実にいい加減なにんげんなのだが
今、私が住んでいる市の市立の中学校の校長までしていた
そして、母は数学の教師だった

こんな環境に育った私たち三人の子供が、誰一人大学を卒業することがなかった
そこまでの頭が無かったのだ
親もそれほど強請しなかったし
何よりその頃は、我が家には金が無かった
父親は都心に事務所を持っていた
電気工事の仕事をしていたらしい
長兄が小学校の運動会の時
財布に10円しか入っていなかったと
母はことあるごとに私に聞かせた
そして国立の大学を出て教員免許を持っている母に
ーあなた教師になればいいじゃないー
と背中を押してくれた人がいたらしい
それまで母は稼ぎのない父の稼ぎを待つ女だったのだろう
教師として働く母を助けるために、最初の頃は北海道の親戚の女性が手伝いに来ていた
その頃のことは殆ど記憶にない
そのうち私たちは東京の北の方の巨大な公団住宅に引っ越す
後で知るのだが、その頃の公団住宅は最先端の生活様式で憧れの的だったそうだ

働く母を持ち、私たちはその頃鍵っ子と言われる存在だった
私は母と叔母が卒業した国立の附属の小学校に受かり、東京の北の方からその小学校まで電車で通う生活になるのだ

今では混んだ電車に乗ることがない
幼い子供にとって多大なストレスだったに違いない

私の学校へ通うモチベーションは、小学校から高校一年まで通う暮らしですっかりへし折られた

とにかくサボりたかった
勉強が嫌いだからどんどん分からなくなっていく
学校がどんどん嫌いになる

そして私は家を逃げ出す
私にはその選択肢しかなかった
母親は勉強をしろと怒鳴り付け、鬼の形相になる
私は自分の環境からスタコラサッサと逃げ出したのだ



今なら解る

私はサバイバーだったのだ

コメント

ログインするとコメントが投稿できます

まだコメントがありません