卒業旅行。二十日程度の行程で初めての一人での東南アジア周遊。バンコク往復の航空機チケットだけを持っての行き当たりばったりの旅行。
バンコクに着いて、カンボジアに飛行機で移動。そこからは陸路で移動にチャレンジした。アンコールワットでつい何日ちを費やしてしまい、さらにカンボジアでラオスのビザを取るのに土日がからんで時間を要し、気が付くとベトナム3日、そしてラオス2日、タイ1日しか残ってなかった。あの細長いベトナムを3日って、無謀そのもの。出国の際ベトナムの審査官から、
「君が何をしにきたのか理解に苦しむ。」
と苦言を呈された。まあ、怪しまれなかっただけましだ。また来よう。
ラオスも穏やかでフランスパンがおいしくて、とても気に入った国柄だったのに、もはや、バス移動と宿泊のみのような行程だった。ごめん、また来るから。
宿泊したラオスの首都ビエンチャンから、メコン川を渡って国境の町、ノーン・カイにてタイ入国。ここから一気にバンコクまでバスに乗って、バンコク到着後ただちに飛行機に搭乗して僕の卒業旅行は終わる。本当に行き当たりばったりの行程で、終盤は何かのアクシデントで一日、半日でも遅れたら帰れなくなる旅となるところだった。
ノーン・カイからバンコク行きのバスに乗った。このままバンコクまで直行。これで間に合う。これで安全圏に入った。僕はホッとした。
限られた時間の海外旅行。あとは、バスから目いっぱい異国の景色を目に焼き付けよう。若いのが取り柄の僕は、強行軍で疲れているのに、旅を少しでも有意義なものにするため、目を見開いて窓の外の様子を見ていた。タイの道沿いは、車の窓からのポイ捨てと思われるゴミが多かった。
国境の町が始発のバス。途中のバスターミナルまでは、隣の席に人がいない状態だったが、徐々に座席は埋まってきた。とあるバスターミナルで、女性が乗ってきた。年のころは僕と同じくらいだろうか。なんかかわいらしくて、快活そうな女性だった。この人が僕の隣に座ってくれたらなあと思って見ていた。女性はバスを降りた。バスの便、間違ってたのかな。まあ、僕の隣に座ってくれないかななんて、旅が楽しくなるだろうな、程度の願望だ。それに、タイ人も女性はできれば女性の隣に座るだろうし。何妄想してんだよ。と、勝手に盛り上がって、勝手に諦めて窓の外のバスターミナルの喧騒を見ていた。
「エクスキューズ、ミー。」
言われてふと見ると、さっきの女性がジュースを2つ持って微笑んで僕に声を掛けてきていた。隣に座っていいかときかれ、僕は突然の妄想実現に舞い上がって嬉しいけど態度に出しきれない状態で、普通にいいですよ、と言った。女性は座ってきて、なおかつ、お近づきの印にと、ジュースを僕に勧めた。
「サンキュー」
またもや気の利いた反応はできずにぎこちなくジュースを受け取る。
「ジャパニーズ?」
「イエス。」
どうやら僕のことを外国人だと思って、話すきっかけとしてわざわざバスを降りてジュースを買ってきてくれたらしい。え?僕に?まあ、外国人と交流したいということなんだろうけど、嬉しい。僕はその先の至らぬことまで考えてしまい、今日中にバンコクを発たなければなれないことを悔いた。
「私の名前はパミカ。だから皆私のことを『ペー』と呼ぶの。あなたの名前は?」
「なんだか覚えにくい名前ね。」
タイ女性特有の髪の匂いが心地よく、もじもじして、なんだか、返事をするたびにお辞儀をしてしまう僕がいた。
「日本ではそんなにペコペコするの?タイの手を合わせて挨拶の方がいいわ。」
「日本は好き?」
「ああ、日本は好きだよ。」
「私はタイが好き。あと、歌が好き。」
「え?窓からゴミ捨てきれないの?あなた面白いわ。」
「私、男はキライ。男はずっと拒んでるの。」
「外国人に話を訊いてみたいと思って隣に座ったの。」
やっぱり!タイの田舎町で外国人をあまり見かけないところだったのだろう。決して僕がモテモテなわけじゃなかったな。いや、何を想像してたんだ。バカバカバカバカ。
「タイのポケットベル見る?すごい楽しいの。」
「タイの文字が珍しいのね。あなたの名前をタイ語でどう書くか教えてあげる。もういちどあなたの名前を言ってみて。」
「私、男はキライ。歌が好き。」
「タイの歌、歌ってあげようか?」
「私、早くから親がいないの。今、施設で暮らしている。でも、悲しくないわ。楽しい。何度も言うけど私、歌が好きなの。できれば歌手になりたいわ。」
「私は、ウドーン・ターニーでバスを乗り換えるわ。」
ついにウドーン・ターニーに着いたようだ。一方的に話されたようだが、僕が、めったに見れない外国人としての務めを果たしたかどうか分からないけど、とにかく楽しいひと時が終わった。
僕は、ウドーン・ターニーで一旦降りて、彼女にジュースをおごり返してあげたかったが、バスのルールが分からないので、降りることをためらった。そのまごつく間に、彼女は私の方をチラチラ見ながらバスを降りた。何かしてあげたらよかったかな。でも、もう手遅れだ。彼女は手を振って、乗り換えのバスの方に向かっていった。これで、一生彼女とは会えない。僕はきゅんとした。バスでのわずかの間で恋をしたかもしれない。
僕の聞き間違いでなければ、彼女には親がいない。それを軽い明るい口調で話し、夢を語る彼女の様子に、僕はなにかしらその後の人生の生き方を影響されたと思う。
少なくとも「私はタイが好き」、この一言で、青年の頃陥りがちな、日本という国のおかげで何不自由なく平和に学生ができ、何不自由ない日本のパスポートで日本円を使い学生風情が海外旅行に行けるのに、なんか、「日本は終わっている」とか、「日本はダメだ」とか言う風潮に流されるのに歯止めがかかったような気がする。現にカンボジアでそんな日本人に出会ったが今は違うとはっきり言える。僕は自己中のダメ人間になるところを彼女に救われたのかもしれない。とっさに答えた「日本は好きだよ」は、その後僕の中で揺るがない考えとなった。
そして、二度と会えないけど、タイ語で自分の名前はいまだに書ける。
นากาซิฆะ เกนลิ
これを覚えている限り、彼女に「今も精いっぱい生きてるよ」と伝わるんだと、そんなことを勝手に思っている。