目が覚める。七月の暑い時期とはいえひどい汗だ。
悪い夢を見た。本当に悪い夢だった。おかげで妙に嫌な予感がするほどだ。日曜日というのに最悪な目覚めだ。
先生が一人小さくて人気のない駅を降りていくのだ。
「先生、先生。」
何度も声をかけたけれど先生は振り向きもせず、そして電車は降りようとする僕を待たずに出発進行する。
やがて先生は大きな背中も見えなくなっていき、大きな影法師も消えていき、見えなくなっていく。
「佳世。」
僕は妻の佳世を見ると、彼女も汗だくだった。いつもこの時間帯は寝ている彼女だが、ただ汗を拭いている。なぜこんなに汗だくなのか理由を聞くのはやめた。
「ちょっと僕、風呂入ってくるから。」
と言って僕は風呂に入ってそしてシャワーを浴びて出る。
その時、佳世は青ざめていた。母親からの電話で、先生が急に亡くなったというのだ。
予知夢だったのか。
「あなた、地元に帰るの?」
彼女は聞く。
「当たり前だろ。」
「じゃあ私も連れて行ってよ。」
「お前はだめだ。だってお前妊娠したばかりだろ。」
そうだ。佳世は一週間前につわりを訴え始めて、病院に行ってみたところ妊娠していたのだ。けれど佳世の真剣な顔を見ているうちに、
「ついてこいよ。」
と佳世の手を引っ張っていた。
東京から和歌山までは大きな距離がある。僕はまず冷静になって切符を買って新幹線に乗り、駅弁を買って食べて和歌山に向かった。
けれど僕の脳内はずっと先生のことでしかなかった。本当にだ。ただ、半年後には父親になっているような男がこんなことをしてもいいのかとも思う。
母親に「今日は泊まらせてもらう」と電話で伝えた。
和歌山駅に着いたのは昼過ぎであった。先生のいる病院は少し先であった。
「平川 彰です。中山 清先生の弟子のものです。」
とナースに一言いうと
「早くいらっしゃいなさい。先生は平川様のことをずっと待っていらっしゃいましたよ。」
と先生の部屋に案内してくれた。
「先生、先生。」
と声をかけても声はもうしない。
「平川様、こちらが中山先生があなたに向けて書いた遺書でございます。」
とナースが遺書をくれる。
彰へ
お前がこれを読んでいるということはもう私は死んでいるということだろう。
派手好きな私の息子はどうせ派手な葬式をするとだろう。その時は質素なものにするよう息子に言ってくれ。
次は絵についての話だが、私の絵はすべてお前に託す。途中の作品が私の枕元にあるはずだ。そのときはすべて仕上げてくれ。そしてそれはお前の書いたものだ。絶対に賞に出品するように。
最後にお前は素質のある絵描きだ。美術の教師は続けても良いが、それでも教えるだけにならずに死ぬまででも絵を愛するように。
以上だ。
と短い遺書だった。
佳世はそんな文章でも泣き崩れる。
僕は先生の遺書通り、葬式は簡単に済ませるようにと遺族に言った。
夕方、実家に帰ると僕はまず中学校に明日は欠席すると連絡し、そして両親に今回のことを話し、両親とも涙を流した。
二〇年前、僕はここ和歌山でいつも写生に出かけていた。まだまだ僕は幼かったけれど絵に対しての興味は一切薄れることはなかったと思う。
ある日、写生の途中で突然の雨が降ってきた。家からの距離も遠いので、小さな雑貨屋で雨が止むのを待った。その時、出会ったのが先生だった。先生もいつも写生に行っているらしくて、そして絵で生きるのは難しいので雑貨屋を経営しているらしい。
「あの、僕に写生を教えていただけますか?」
まだ小さな僕は先生に礼儀も知らずにただお願いしていた。
「ああ、君には良い絵を沢山教えてあげるから色々と努力し、学習しなさい。」
と言ってくれた。
いつも学校が終わると雑貨屋に向かって、先生と遠近法やら、とにかく色々と勉強をした。
ただ、その中で青色の絵の具だけ使って絵を描いて見なさいと言われた。僕は騙されたつもりで青色だけで写真の風景を描いてみた。すると、なにかが感じるような気がした。
青色にはなにかの魔法が有るとそのとき感じた。人を笑顔にする青色、そして美しさを司る青色には大きな力があると確信したのである。
僕は青色だけで絵を描き続けた。最初は幼稚園のような絵だと思っていたが、だんだんそれも良いと思えるようになっていった。
そんな様子で僕の絵もうまくなっていったところだったのだが、僕が小学六年生の十月頃、先生は急にどこかに消えてしまった。
戸を叩いても大声で先生を読んでも何も返事はなくなっていた。
先生は失踪した。それも僕に何も言わずに。噂によると、先生は雑貨屋の経営がうまく行かなくなったから、都会に引っ越したとか、借金にまみれたから夜逃げしたとか、色々な説があるが未だに本当の理由はわからない。
先生がいない僕は、恩師をなくした気がして僕にはもう何も生まれないと思った。そんな僕は中学校に進学後、自殺を決意した。僕は海岸から飛び降りて頭を打って自殺しようと考えた。でも、できなかった。
「こんな絵を出品するなんてお前は馬鹿なのか?」
と先生から怒られるたびに僕は自殺を考える。でも怖くてできない。そんな生活だった。でも、
「え、すごい。」
そう言ってくれたのは同じクラスだった秋元佳世だった。
佳世は勉強も運動も僕よりできて、おまけに学年一の美女とも言われていたが、あまり人と話すことはなかった。
「秋元、お前お世辞は言うなよ。お前のほうがうまいだろ。」
と一言返したが、
「ううん。本当にすごいよ。青色の絵の具しか使っていないこと絵もこんなにきれいなんだな、て初めて思った。」
と言ってくれた。
一筋の光を感じた。
ずっと誰も僕の味方はいないと思っていたのに、何かが変わった気がした。
僕は美術系の大学を出たあと、どうしても画家になりたかったがそう認められることはなく、ついには生活が成り立たなった。だから先生のような子供を支えられる教師になろうと志し、上京した。
意外にも教師免許は簡単に取れたので、教師になることはできた。
けれど、全く絵を描かない、そんな日々が続いていた。そんな矢先の先生の訃報だった。
先生は最後まで僕のことを思い、死んだらこの電話番号に電話しろ、と実家の電話番号を書き置きしておいたのだという。
葬式が終わり、東京に帰ると、僕は先生の絵を徹夜で完成させた。それも青色の絵の具で。
青色の絵の具で作った絵は何か先生の心、そして僕の心を表すようにも見えた。