「今朝から空を見てばかり――」
「Aya様、どうされたのですか? 私もお茶をいただきます」
Ayaは、むくと知り合ってから一年が経とうとしていた。なんてぽかぽか陽気なのだ。縁側に日向ぼっこをするように、二人は並んで湯のみを傾けた。
「アチャ。ちょっと熱かったです」
ここは、日本ではない。パリのモンマルトルで、むくは寡婦となっても絵を描いている。そして、Ayaは、
「罠にはまれー。はまれー。Kou」
糸を引くような手つきは、真剣だ。はたからは、キリンのような首に見えた。それだけ待ち遠しいのだ。
「Aya様、聞こえてます。独り言です」
「やー。恥ずかしい! 見ないでよー!」
むくは、どんと突き飛ばされた。遠慮のない勢いで、縁側から手前の池に落ちそうになる。瞬間、Ayaが手を取って救った。
「危なかったわ」
「私は大丈夫です」
むくは、水色のエプロンをぱっぱと直して、縁側に戻る。Ayaは、自分の行いを振り返り、頭を下げた。
「あー。私に絵心があればね。むく様みたいにハートをズギュンなのを描きたかったわ」
「絵心ですか。好きに描いた絵が一番の笑顔が咲くと思います」
「そうね。才能だけではないわね。気持ちよね」
Ayaは、待ちきれないのか、空に向かってすくうように手を伸ばした。
「天気雨一つ降りそうにもないかしら」
「私が雨の降ったお庭を描きます。さながら、睡蓮でしょう」
キャンパスに雨をたったったと描き始めた。
「むくさん、スケッチブックを借りてもいいかしら? 私も描くわ」
「大丈夫ですよ。二人で、描きましょう。雨を降らせましょう」
うふふふとむくは笑った。三月前に夫を亡くして以来、笑顔の少なかったむくが笑った。それにAyaも安堵し、スケッチブックに専念できる。
「降らないかなー、雨、雨」
「Ayaさん、かわいいです」
スケッチブックの雨の中、似ていないKouを熱心に描き出す。
――その時、すっとスケッチブックが取り上げられた。
「むく様? おふざけなんて珍しいわね」
「俺だが――」
「……Kou!」
Ayaは、色鉛筆をばらまいてしまった。
「もう、雨が降らない日でも逢えると分かっているだろう? Aya」
「そんな。だって、Kouは――」
「俺はお化けではないさ」
Ayaは、庭へ向かって飛び出し、Kouに抱きついた。
「おいおい、Aya。今更どうしたんだよ」
雨一つない晴れた天気の中、AyaはKouの懐かしい香りに包まれていた。
「Aya様、どうされたのですか? 独り言が多いですよ」
にやにやしながら、Ayaが振り返る。
「じゃあ、言うわよ。このKouを見て何と思うの?」
「Kou様は、私の夫です。少し前に結婚して、少し後に亡くなってしまった」
「あ……」
ふっと、Ayaの腕が軽くなる。
Ayaは、庭先にいたKouを見失ってしまった。
「でも、でもね。それでも、帰って来てくれたのよ」
私の愛にあやまちはなかったと、そう信じたかった。Kouは、Ayaと腹違いの兄妹だったのだから、結ばれなくても仕方がないと――。
一粒、二粒、涙が雨粒のごとくこぼれた。
Ayaとむくから。
その後、二人はキャンパスとスケッチブックに晴れた空を描いた。虹まできらきらとして、素敵に仕上げる。
「雨の日に現れるKou」
「亡くなってしまったKou様」
空に向けて、二人は言い放つ。
「じゃあ、言うわよ。むく様、せーの」
『毎日が晴でも忘れない……!』
これから、Ayaの影法師、むくにとっても亡き夫についての話となる。
私たちのKouは、もう雨によらず現れてくれるのか――。
* *
2019/04/07ー
いすみ 静江