清乃
ケータイ小説の可能性
「どうせ、素人が書いたものだから」
「どうせ、ケータイ小説だから」
そんな、斜に構えた目線で構わない。
きっかけなど、どうでもいいのだ。
この作品から純文学はとっつきにくいものではないことを知って欲しい。
相当荒削りだが、物凄いパッションを感じた。
作者様の魂のこもった1文字1文字は読者様の胸を焦がし、圧倒されることだろう。
ただ、いくらフィクションだと自分に言い聞かせてみても私はやはり風原先生の治療には疑問を感じる。
患者であるみどりはまだ14才の子供だ。
しかも心を病んでいるから風原先生を訪ねたわけである。
つまり、どう考えても先生が道を決めてやらねばならない。
にも関わらず、診療外に連れ出したり、何か買ってやったりと、みどりの心を翻弄させ、挙句あの結末だ。
大人なら、医者なら、今のみどりに適切な「距離感」を示すべき。
あんな風にしたら、みどりが依存するに決まってる。
捨て猫が可愛いから、可哀相だから、と無責任に餌をやることに似ていると感じた。