笑十郎は心底困っていた。

 たった今退出したばかりの、気持ちの良い青年の行く末を、我が手に託されてしまったような気がして、ほとほと途方に暮れていた。

 青年は、不意に訪ねてきた。

 門番が名を尋ねると、

 「名は無いのです。これを、お殿様に」と言って、木彫りの粗末な、古びたかんざしを取り出してみせた。

 そのかんざしに、笑十郎は見覚えがあった。若かりし日に、自らが、ある女の為に彫ってやった物だった。

 女は、名を尋ねると、

「名は無いのです。旦那様がつけてくださりませ」というので、ふざけて「名無し」と付けようかとも思ったが、一寸考えて、「まなこ」と付けた。

 人に付ける名としては、いささか奇異ではあったが、その後に知った事だが、その「まなこ」は人ではなかったのである。