なんというか、それはいとおしい時間に思われた。誰かを待つというのは、誰かが姿を見せる瞬間のためにだけ、その場に動かないでいるというのは、ひたむきでいじらしい行為に違いなかった。しかもなんて他人任せなことだろう。相手がやってくることそれだけを、動くことのない決定事項として要求するなんて。自分の存在そのものをかけて、誰かを強く求めるそれは行為だった。
もっと、たくさんいろんな人を待ってあげればよかった。誰かを待つという時間をもっと持つことができていたら、わたしはもっと、確信なんかはないけれど、たとえば強くなることができていたのかも知れない。どこにも凭れることをしないで、しっかりと地を踏みしめて誰かをただ待つためだけに立ち続けることをしていたら、その現れた誰かから何があっても逃げようとは思わなかったかも知れない。好んでいつも待つことをしてみればよかった。待つ時間というものを楽しめばよかった。