時は承応(1652年)のころ ──江戸上堺町では前髪立ちの美しい芸子らによる「かぶき踊り」が庶民の人気を博していた。中でも村山座の花形若衆・玉川千之丞の艶やかさは当代随一。その舞台姿をひとめ見ようと芝居小屋につめかける見物客があとをたたない。
一方、幕府は風紀上の弊害を理由に若衆歌舞伎の弾圧に躍起になっていた。かつて女歌舞伎が同様の理由で禁令の憂き目にあった前例があるだけに座元や芸子衆は一様に危機感を募らせる。そんな折しも、千之丞の妹で村山座唯一の女芸人お菊が南町奉行所の与力・堀之内伊織が設けた座敷の席で詮議にかけられ自害に追い込まれる。お菊は千之丞の座員仲間にして無二の親友、多門庄左衛門の許婚だった。事件から数日後、悲しみに沈む村山座に追い打ちをかけるごとく新たな難問が持ち上がる。何と幕府は近く芝居芸人の前髪を一人残らず斬り落とす意向だというのだ。それは一座にとって死活問題だった。前髪を失くした芸子は若衆としての商品価値を失うからだ。座員達に動揺が広がり一座を抜け出す芸子が続出する中、千之丞は馴染みの茶屋や妓楼に通いつめ親しい花魁衆の協力を得る傍ら彼女達の立居振舞いを徹底的に模倣することを思いつく。 風流から技芸へ、扇情から写実へ──かぶきが、従来の衆道を対象とした容色本位の域から脱皮することこそが幕府に対抗しうる唯一の方策なのだ。当初は先行きの不安から足並みの揃わなかった座員たちも本格的な技芸の確立をめざして猛稽古に励む千之丞の熱意に打たれて奮起する。かくして連日にわたり女形芸の試行錯誤を重ねる千之丞は、いつしか吉原の遊女初音と恋仲になる。だが初音が身籠ったことが遣り手や女郎仲間に知られてしまい、彼女は廓の掟破りと責められ、厳しい折檻を受けた末に命を落とす。激しい衝撃と悲嘆のどん底に落ち込む千之丞を庄左衛門は懸命に励まし叱咤する。目の前に迫った初春興行の舞台を成し遂げるためには今ここで何があっても挫折はできないのだ。奉行所から若衆の前髪を斬り落とす刻限が突きつけられる中、一座の良き理解者である浜野太夫の計らいで、千之丞はお菊自害の件で因縁のある堀之内と対面する。それは自らの役者生命と一座の命運をかけた千之丞の最後の闘いだった。明けて正月 ── 初春興行の初日を迎えた村山座の楽屋は、出番をひかえた座員一同の緊張と熱気に包まれていた。既に彼らに前髪は無く、芝居小屋の看板は「若衆」を外して「物真似狂言尽」へと改められた。 文字通り、新しい芝居を観客の前で披露する最初の舞台なのだ。やがて千之丞が紫帽子をかしらに整え、創意を懲らした女形の拵えで楽屋に現れると座員一同は息をのんだ。はっとするばかりの艶やかさ……その面差しは庄左衛門に在りし日のお菊をしのばせた。やがて拍子木の音が高らかに鳴り響き、舞台へ向かう座員達の顔が紅潮する。否が応にも緊張が高まる瞬間だ。座員達は少し不安げに振り返りながら「お先…」と立ってゆく。最後に残った千之丞と庄左衛門の出を待ちわびる観客の熱い拍手と歓声が楽屋まで聞こえてくる。二人は互いに手を携え、観客の待つ舞台へとその一歩を踏み出した。承応年間、初春──のちに現代の歌舞伎狂言と、それに準ずる演劇形態の原型をなしたとされる「野郎歌舞伎時代」の幕開けであった。