こんにちは。
夕食後はインコの放鳥時間です。一日中この時間を楽しみにケージの中で我慢しているインコの為のインコのわがままを全て叶えてあげるスーパーインコタイムです。
ご飯が食べたいと言えば用意してやって、食べっぷりを褒めちぎって。お茶が飲みたいと言えば飲ませてあげて、飲み方も上手に飲めたと褒めちぎって。水浴びがしたと言えばお風呂を用意して、綺麗になったと褒めちぎって。紙が咬みたいと言えばチラシを用意して、長く切れたと褒めて。抱っこしてほしいと言えば抱っこして、一緒に寝たいと言えば一緒に寝て。
家族がそれを「インコはМ(筆者)の言う事はよく聞くなぁ~」と言ったのだけど。その逆。私が「お茶を飲みなさい」「こっちに来なさい」と言っている訳ではなく、インコが何をしたいか、何をして欲しいかをずっと観察して考えているからインコの行動と私の行動がシンクロしているだけなのです。
相手が何をして欲しいか、何をされたくないか、何を言われたくないかを基準にしないで行動する人には分からないのだろうな……
インコと私の関係は、嫌がる事を極力しないし、いつもやって欲しい事を察知している分、少し嫌がる事を(嘴を拭くとか)したとしても大して怒らない。脇の下だって触らせてくれる。信頼が出来ているから。ちょっと嫌なことはあっても、すっごく嫌なことをこの人は絶対にしない、という信頼。
そもそもこの子は、ペットショップで色んな嫌な目に遭ったようで、人間不信の状態で家にやって来た子だったから、ここまでの信頼を獲得するのにものすごい時間と労力が必要だった。噛まれて血も流した。
飼い主と飼い鳥というシンプルな関係(世話をする側とされる側)でも信頼を得るのに時間がかかる。人間同士は、感情も状況も立場も全てが複雑に絡み合うのだから、そう簡単には行かない。なんだって積み重ね。
言われたくないことだって、自分のこと以外でも聞きたくない言葉だってある。自分に向いていない思いも受け取ってダメージを受けてしまう。
勢いに任せて発言したり自由に行動する事も必要な時があるけれど、誰かに伝わってしまった言動は絶対に取り消せないのだから、一呼吸、言っていいのか、やっていいのかを思う必要はある。それでも人に嫌な思いをさせたり傷つけてしまう事もあるのだから。
飼い主とペットの関係は特殊だから都合の良い存在にならざるを得ない。人間同士の場合にはそれは適応されないし、してはいけないけれど、やはり「想像力」は大切だなぁ。想像力は優しさだと思う。