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たくひあい

たくひあい


 対物性愛をテーマにした話や、キャラクター同士を仲良くさせて遠くから見守るような話が多いです。


・なるべく完結作品、またはある程度進んだ作品を載せます。



・オウム三女の松本麗華さんと間違われていましたが、別人です。

番外編

 こっちにも「不要記事」を載せました。
なるべくここには完結した作品を置いとこうと思っているのですが、載せたいものもあったり、うーん迷う。
 私の中では、作品は、こう、感受性というか、なんていうのかな、ふわっとした、やわらかい女性向け本とかにあるような(※性別を限定しているわけではない)イメージで作ってきているつもりなので、これからもそうするつもりでいます。
ある作家さんが、よく、見てくれたけど、その人はすごく熱い、少年誌みたいな人なので、すよね。(意訳)
私が例えば、手を触れるだけで抑えた描写とか、目を閉じるだけにした描写を、その人はさらに直接的にエグくする、みたいな。
そこまでストレートにしないでという気持ちが私にあって、削って削って、このくらいが美しい比率だなぁというのを、決めたんです。だから自分の一方的な感情ではありますがそれだけ神経を注いだ部分を否定されるみたいに感じて目にするのが辛く、そこまでストレートにする必要があるのか?とか、感性が合わないのによく一緒にされて、似てますよねと言われてもピンとこないんだなぁ。とか、家のことと、そういうことを考えました。
 近況。家の片付けとか、料理とかであっという間に時間が過ぎますね。



 恋愛的な意味の、
好きとはなにか? どうしてそれが必要になるのか? というのは、学ばないとわからない事ですよね。
 なとなとは、そういうなぜ人を好きになることが必要なのか?という学習的な気持ちも入れたのですが作者自身、まだ知らない事も多いです。「説得力がない!」は周囲の大人が決めることでは無いと思うので、書いていても、なるほど、と思うことがいっぱいありました。好きな物がいっぱいあってようやく、自我が形作られるのにそれを制限しながら結婚だけはさせるなんて横暴は現実であることです。
、好きな物をいっぱい作ってから、自我を形成した後に、人間を好きになるのでも良いと思います。

 好きな物をいっぱい作ろうとしてるときに、
小説にφ(..)メモメモした好きなものを、報道したり、のっかったり、もあった上に、さらに私まで、好きになろうとされて、
本当に恐ろしいことがありました。私は好きな物を作りたいですが、なぜ周りの好きな、話を聞かないといけないのだろう。
親まで、ふりかけ美味しいっていったら、ふりかけの話をしたりするので泣きそうになります。
好きになったものを、言うのは、いけない事じゃないんでしょうか……? アウティングは、例の彼もでした。
人間を好きになるためにはものすごいエネルギーと、それだけの、好きな物が必要なんだと、改めて気づかされています。

もう耐えられそうにありません。



だいたい、それだけ好きな物を持っているくせに、私が思い通りにならないと、優しさがどうとかって異常すぎます。
まず自分を形成できるだけの好きな物があるかないかというところでギリギリなのに、そのわずかな好意すら攻撃するのが、
そりゃ目の前で好きな物を好きなことを見せびらかされ続けるんだから、私の方が気分が悪いのもしょうがない。

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