死 神 〜第一章 家族団欒〜
春。それは始まりの季節。
出会い、別れ、新しい環境、新しい空気。
灰色の道がピンクに染まる頃、俺は家の床を真っ赤に染め上げていた。
中学最後の全国大会。
俺(慎)は初めて一位を手にした。
血反吐を吐くような練習や苦難に耐え、完璧な集大成を得たことに感動と自信に満ち溢れていた。
中学を卒業する頃には、全校生徒の中で一番の人気者、そして世間からも将来の期待の星と言われるようになっていた。
後輩からの熱い視線、先生からの大きな期待、陸上だけでなく勉強でも優秀だった俺はこれからも完璧な自分であり続けるのだと思っていた。
中学の卒業式が終わり、家に帰ると夜ご飯のいい香りがした。
だが、俺はその香りに飽きていた。
毎日、似たような香りを嗅いでいたからだ。
今日ぐらいは特別なご飯が食べられると思っていた。
ピザやケーキ、カツ丼やステーキ。
俺は天国から地獄に堕とされたような気分だった。
そんなことを思っていると、何やら話し声が聞こえた。
こっそりドアの隙間から覗いてみるとそこには母方の祖母と母が話していた。
「慎も高校生になって、最難関の高校に受かって、私はあの子の母親になれてとても嬉しいわ。もう涙が出てきちゃう」
「そうだね〜」
「父親が借金して離婚した時はあの子にとても迷惑をかけちゃったけど、こんな頼りない母親についてきてくれて本当に感謝の言葉しかないわ」
「そうだね〜」
俺はその言葉がとても嬉しかった。
本人がその場にいないところで母がそう言うってことは本心からそう思っていると言う証明だと思ったからだ。
俺は少し照れながら、盗み聞きをしているのも申し訳ないと思い、リビングに入ることにした。
「ただいま。」
「帰ってきていたのね。お帰りなさい。お夕飯できてるわよ。手を洗ってきなさい」
母はそう言ってキッチンに入っていった。
「可愛い孫が帰ってきたよ。お帰りなさい。今日は卒業おめでとね。お祝いだよ」
「うん。ありがとう」
俺は小恥ずかしくなった。
そう言って自分の部屋に荷物を置き、洗面台に向かった。
俺自身、自分は完璧な存在であり、今まで頑張ってきた時間は自分のためでもある。
だけど、それが俺にとってとてつもないストレスに感じていた。
手を洗い終わり、リビングに向かうと夜ご飯の支度が終わっていた。
「さてと、ご飯を食べましょう。今日はとっておきのササミ肉が手に入ったの。高級品よ。わざわざ鹿児島から取り寄せたんだから。味わって食べなさい」
母さんは鼻高々に俺の目の前に高級品のササミの乗った皿と減塩の味噌を使ったお味噌汁、ご飯とサラダをテーブルに置いた。
俺はいつもと同じ夜ご飯に再度落胆した。
今まで何度同じことで気を落としたことか。
特別な日ぐらい何も気にせずに好きなものを食べたかったからだ。
俺はたまらず母さんに尋ねてみた。
「母さん、今日の夜ご飯も美味しそうだね。でも、今日ぐらい特別なものが食べたいな。ピザとかさ」
母さんは僕にニコリと笑いかけ、僕に言った。
「このササミも特別じゃない。言ったでしょ。これは高級品だって。味もいつもと比べものにならないくらい美味しいのだから。それに・・・」
母さんの顔色が少し暗くなった。
母さんが暗くなリ始める時は大抵、怒り始める前だとわかっている。
いつもの俺なら、こうなり始めた時点で気を使い引き下がるのだが、今日は何故だか無意識の内に強く言い返してしまった。
「さすがにもう飽きたよ。たまには脂っこいものや甘いものだって食べたいよ。」
正直限界だった。
母さんが親父と離婚して9ヶ月。
離婚する前から僕に対して、母さんの生活習慣の管理は異常だった。
しかし、今は前よりはるかに厳しくなっていた。
母さんの顔は次第に真っ赤になり、俺に怒鳴りつけてきた。
「あんた何言っているの!たかが中学卒業して高校入試が通ったぐらいで贅沢言わないの!そんなのできて当然じゃない!少しでも気を抜いたら他の子に簡単に抜かれちゃうわ!そんなこともわからないの?貴方は完璧なの。みんなから憧れられて、好かれている存在にならなきゃ駄目なの。裏切られて捨てられちゃ駄目なの。慎は私の理想の息子なの!」
こうなったら母さんは止まらない。
何を言っても反論してくる。
だけど、俺だって子供じゃない。
自分のことは自分で決められる。
俺は母さんに言い返した。
「俺はもう自分で自分のことは決められるよ。母さん、俺はもう小学生みたいな子供じゃない!」
俺と母さんは今までにないほどに言い争っていた。
「俺は今まで母さんの言うことは何度も聞いてきた。本当はもっと友達と遊びたいし、美味しいものやゲームだってしたい。俺は母さんの理想になるために必死にやってきたんだ。せめて、特別な日ぐらい夕飯を変えてくれたっていいじゃないか!」
「慎のために今までどれだけ苦労してきたと思っているの!慎は子供でまだ何も分かっていないの!私の言うことは絶対なの!」
お互いがお互いの話を全く聞いていなかった。
その様子を見ていた祖母はこの状況ついていけず、戸惑っていた。
俺は母さんが自分みたいになってほしくないって思ってくれているのは親父の件で理解していた。
しかし、いくらなんでもやりすぎだ。
今まで、母さんの自慢の息子になるためにどれだけ努力をしただろうか。
朝から走り込み、学校では真面目な生徒。
そして、部活ではしこたま鍛えられ、夜は塾。
その後も四時間勉強してようやく今の自分がある。
それも全て母の監視下であった。俺には自由な時間がなかった。
少しでも気を抜くと怒鳴り散らかし、ひどい時は俺の頬を叩いた。
俺は今までずっと我慢してきた。
時には気が狂いそうなほどに。
俺は母さんのものじゃない。
俺は母さんの人形じゃない。
俺は母さんの理想の息子じゃない。
俺は母さんに縛られたくない。
俺は自分のことは自分で決めたい。
俺は自由でいたい。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!もういい加減にしろよ!」
もう限界だ。
そう思ったのと同時に大きな鈍い音がした。
俺は我にかえる。
何があった?
気がつくと母さんが部屋に倒れていた。
「母さん?」
何やら生ぬるい液体が僕の右手から滴り落ちる感覚があった。
「何これ?」
状況の把握が追いつかない。
祖母は驚いていたのか腰を抜かして尻餅をついているようだった。
「ばぁちゃん、どうしたの?口があいているよ」
俺は祖母に声をかけた。
「あんた、今何をしたのかわかっているのかい?」
俺は右手を見た。
「なにこれ。なんで花瓶を持っている?赤い液体。血?なんで。母さん?」母さんからは何も返答はなかった。
俺はその状況を見て、把握した。
「俺は人を、母さんを殺したのか」
しかし、何故だろう
俺は恐怖心や戸惑いを一切感じなかった。
むしろ、少しスッキリした感覚と快楽、開放感が俺の中で広がった。
「自由だ・・・。自由になれた!」
これが、俺が母さんを殺して一番最初に放った言葉だ。
俺は何故だか無性にムシャクシャした。
俺は祖母に話しかけた。
「ばぁちゃんさ、なんで俺が辛い時、母さんを止めてくれなかったの?俺が殴られていた時も見てみぬふりをしたよね?俺が相談した時も全部愛の鞭だって、だから我慢しろって言ってたよね。じゃぁ、これも愛の鞭に入るかな?」
僕はそう言いながら母さんを指さした。
祖母は怯えて声も出ないようだった。
俺は続ける。
自分が自分でないみたいに。
「俺、今、凄く気分がいいんだ。今までにないくらい。でも何故かまだ俺の気が母れねぇ。なぁ、教えてよ。なんでこんなに気分がいいのにムシャクシャするんだろうか。俺、普通じゃないみたいだ。多分考えちゃいけないことを考えてる。何かわかる?」
俺は祖母に近寄りながら質問した。
「そ、それはなんだい?何を考えてる・・・」
俺は祖母が聞き返す瞬間、右手でずっと握りしめていた瓶を祖母に向かって振り上げた。
「これで俺の苦痛の原因は消えた。すごい爽快感だ。これだ・・・。これだよ!!」
俺はそう自分を感嘆しながらテーブルの上に割れた花瓶を置いた。
そしてキッチンへ向かう。
包丁を手に取り、俺は人生最後の言葉を発した。
「今日の晩餐は今までで一番格別だった。家族団欒。僕にとってこれ以上の幸福はない」
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