大丈夫だよ」なんて軽い言葉を吐き捨てるように呟く彼女は、多分というか絶対的に私の話を聞いていない。「時間が解決してくれるから」とか「とことん悲しめばいいんだよ」とか。深いことを言っていそうで言っていない、ただ表面を掬っただけの言葉は私と同等の苦しみを味わった人しか扱ってはいけない言葉な気がして。インスタのアイコンを変えるか変えないか、なんてその程度で悩んでいる彼女は、多分、というか絶対的にそれらの言葉を安易に扱ってはいけない側の人間で。つまりは絶望という日本語の本当の意味を知らない人間だと思う。というかそんな風に思ってしまう。彼の「別に嫌いになったわけじゃない」って言葉だったり、1番信じてほしかった人に言われた「本気にしないほうがいいんじゃないかな」なんて言葉だったり。そんな些細な言葉が、自分を一気に独りにしてしまう時があって。挙げ句の果てに、「涙の海」なんかを一人で泳ぎ始めることになってしまう。そうすると、バンドマンが涙を流しながら歌う「ただ一人君だけには」って歌詞も、全力で、頭を下げ続けるアイドルが残す「死ぬなよ」って言葉も。全部どこか他人事のように思えてしまって、仕方がなくなる。そして溺れそうになった時にようやく一人じゃダメだと気づく。いつも温かかった彼の左手は、温かいが故に人よりも冷たさを感じやすかったのかもしれない。ことあるごとに口角を上げ、目を細める彼女の笑顔の裏側にはいくつもの絶望が隠れていたのかもしれない。
思いを完全に言語化する、なんて皆んなが皆んな簡単にできることじゃなくて。だからこそ見えない「思い」や「感情」に直接棘を刺す「言葉」なんてありきたりなものを大切にしなくちゃいけないんだと思う。それは届くか届かないか、なんて安易な話ではなくて。もっと深く情熱のある話であって。言葉でついた傷は見えないから。だからいつ傷口が開いてしまうのか、疼いてしまうのか、そんなことも当たり前に分からない。慈愛に満ちている暖かい人にそんな傷がついてしまうことが1番悲しいことなんじゃないかと思う。まず前提として人を絶望の向こう側に追いやってしまうような、そんな言葉は故意的に且つ恣意的に使うために生まれてきたものじゃない。感情があるからこそ言葉があって。言葉があるからこそ感情があるのだから。優しさと愛に満ちた言葉を使えば自ずと感情もそれに伴ってくるはずで。その逆も然りだと思う。誰もが皆んな同じように扱えてしまう「言葉」だからこそ、できるだけ優しさに溢れた言葉が私の元に届いてほしいと思うし、そんな言葉を大切なあなたに届けたいと思う。
私の優しさと愛情そのものであるあなたへ
どうかあなたを取り巻く全ての言葉が、やさしさで包まれた陽だまりのような温かさを持っていますように。
あなたの笑顔が明日も輝き続けますように。