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手鳥

\ハッピー無意味/

h:花染ユウさま

備忘録のようなもの(とても長いです。誇張ではなく、本気で長いです)







今晩は、こんにちは、お早うございます。
はじめまして。酢と申します。

なんでこんなにも名乗りにくい言いにくい名前をつけてしまったのかと改名を考えつつ、きっとずるずるとこのままなのだろうと思いますね。



どうして急にブログを書こうと思ったのかというと、「泡立つ呼吸で息をつむぐ」という作品のあとがきのようなものを書いておきたいと思ったからです。

「少年のアビス」の短編小説コンテストに提出した作品で自分なりに色々考えながら書きあげたものだったので、その考えたことを記録しておきたいなと思った次第です。

そして、私は昨日のできごともすぐには思い出せないくらいかなり忘れっぽいので、自分の記録用に残しておきたいのです。




以下、ネタバレパラダイスですのでご注意ください。また、タイトルにもあったようにアホみたいに長いですのでご注意ください。















「かえりたい」という言葉は、私の姉が転職する前までよく口にしていた言葉です。


朝起きてご飯を食べているとき。
仕事に行く準備をしているとき。
そして仕事から帰ってきてから。


「かえりたい」と口ずさんでいました。
たった今帰ってきたばかりなのに。どこに帰りたいのだろうと、いつも不思議に思っていました。それが転職後ぱったりと姉からその言葉を聞くことはなくなり、姉の前職場がお世辞にも好待遇とはいえない環境だったこともあって。

(現実から目をつぶってしまいたかったのかな)

そう、私は勝手に解釈していました。


そのことを企画作品を考えているときにふと思い出して、作中に用いました。


作中の主人公の位置にいる彼は、特別辛い目にあっているわけではありません。
特別仲がいいわけでも悪いわけでもない父親と母親と姉という家族がいて、気の合う友人が複数人いて、金銭的に困っているわけでもなく、適度にバイトをして大学に通って適度に遊んでいる、
一般的にいうところの「ふつう」の大学生です。

はたからみれば、死にたい理由なんてどこにも存在しないように見える「ふつう」にまみれた彼であっても死にたくなる瞬間が訪れます。
いえ、死にたくなる、とはすこし違いますね。死にたいわけではありません。
でも、生きたいわけでもありません。
そんな生と死にあやふやな瞬間が訪れることがあります。
それを書きたくて、この作品ができあがりました。



死にたい理由もなく、生きたい理由もない。


彼は普段それらの理由を考えながら生活してなんていないけれど、時々たまにふっと「そういうこと」を考える時間がきます。
どうして自分は息をしているんだろう、と。

理由がないことを嘆いているわけでも悲しんでいるわけでもなく。ただ不思議に思う。
どんなに「ふつう」に見える場所で生きていてもそういう瞬間に襲われて、呼吸がしづらくなることが誰にでもあるんじゃないかと思います。


そして、どんなに「ふつう」に見えていてもその人にとって何が致命傷になりえるのかは他人が決めていいことではないと思うのです。


「アンタの姉ちゃんはちゃんと計画的にできてたのに」


彼にとっての致命傷は母親の何気ない言葉です。悪意があるわけではない母親の言葉。
他人からすればなにも感じないものでも、彼にとってはそうではない言葉。
平凡な日常のなかにも息をしづらい要因は計り知れないくらいたくさん転がっていて、どれがその人の呼吸を滞らせるものなのかも計り知ることは難しい。

知らないことは罪ではないと思います。
でも、知ろうとしないこと、想像さえしようとしないことは罪なのではないかと自分は思ってしまいます。
知ってほしい、気づいてほしいという願望による考えで、ただの甘えなのかもしれないですが私は自分に甘い人間なのでそう思ってしまいますね。



「理由なんてねえよ」


作中で彼は、この言葉に殴られたような感覚になります。とても驚いたのは彼自身が他人から何にでも理由を求められて、そしていつのまにか自分も他人に理由を求めていて、それが彼の「ふつう」になっていたからです。


これは個人的な考えなのですが。
理由というものは、他人が相手を理解するためのものなのではないかと思っています。
理由から相手の思考を知り、それに共感することができれば、他人である相手を身近に感じることができて、けれど共感できなければ自分とは異なる存在として認識する。

そういう、自分と相手との距離を測るためのものなのではないのかな、なんて思っています。

これは完全に、私の偏った思考なのでどうぞスルーしてくださいね。



そういうわけで、彼はどこか理由がなければいけないという思いに縛られていて、息がしづらくなった原因のひとつでもありました。
それが、男の一言によって一気に崩れ去ったことでほんの少しだけ呼吸がしやすくなりました。

「別に理由なんてなくてもいいじゃん」と。


理由なんて必要ないけれど、それでもあえて挙げるなら生きてる理由なんてものは手近でささいなものばかりでもいいのではないかなと思います。

男が言ってたみたいに、

「読みたい本がある、食べたいものがある、会いたいひとがいる、行ってみたい場所がある」

そういうほんの少しのやりたいことのために生きていて、それが積み重なることで気付けば長いこと息をしていた。

そういう理由でいいじゃん、と思いますね。
実際、私が呼吸をやめないのもそんな理由が積み重なっているからですから。



結局、彼の生きづらさは消えたわけではないけれど、それでも男の何気ない一言が彼に呼吸をしやすくさせた。
現実でも抱えた悩みが完全に解決されることはそんなに多くはなくて、手に抱え込んだまんまで、それでも少しでも息がしやすくなればそれだけでもけっこう意味のあることなのではないかなと思います。


人間は、ささいなことで死にたくもなるし生きたくもなる生きものだと思います。

私の場合、すこし肌が荒れるだけで軽率に息するのをやめたいと思いますし、素敵な本や漫画に出会えただけで生きててよかったと思います。
ちなみに、私の現在の生きていたい大半を占める理由はハイキューという漫画の最新刊発売を心待ちにしているからです。余談です。
これは私がチョロい人間だからなのかもしれないですが、人間の行動理由はこれくらい些細なことなんじゃないかなと思ったりもしてます。




あとがきはこれくらいでしょうか。

予定ではこの半分くらいの文量になるつもりだったのですが、おかしいですね?
要点をまとめるのが下手くそすぎますね。
あっさりとした文章を書けるようになることが今後のひそかな目標です。


いないとは思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいたら、もう拍手喝采です。
だらだらと長ったらしい文章に目を通していただきありがとうございました。

間違いなく女神ですね。女神と呼ばせていただきます。



それでは。
今日も適度にテキトーに生きていたいです。
おやすみなさい。




2020/11/02 酢




コメント

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  • Nia.

     最後まで拝読し終えた今、胸がじんわり温かくなっています。素敵な後日談を書いてくださり、本当にありがとうございました。貴著『泡立つ呼吸で息をつむぐ』が更に深いものとなって、私の心にスッと溶け込んでくれました。あちらにコメントを書かせて頂いた時は、自分の理解能力の乏しさ故に、まだ明確にわかっていなかった部分があったのですが、それも全て掬い取るような形で、それらが顕著に表れ、やっと、この物語の核なる部分に触れられた心地がしています。誰かの息苦しさを増加させるのではなく、誰かの気持ちを少しでも楽にできるような言葉を投げかけられる人になれたら良いな、と改めて実感しました。
     この度は本当に本当に素敵な作品を紡いでくださり、ありがとうございました。酢様のこと、これからも微力ながら応援しています。