「疲れた時は甘いもの、元気な時はしょっぱいものが美味しく感じるはずなの、だからつまりね、リョウくんはとても疲れているのよ」
「元気なときはしょっぱいものがおいしいの?」
「お前の浅知恵は信憑性に欠ける」
「んー、あー、やっぱり?やっぱりねえ。私ね、前の前の彼氏に、ぽたぽた焼みたいで鬱陶しいって言われたのよねえ」
「前の前」
「ぽたぽた焼?」
タカシとリョウは同時に呟くと、しょんぼり下を向くソノコを見つめそして、二人、目を合わせる。
「知らない?ぽたぽた焼ってお煎餅。
甘くてしょっぱくておいしいのよ。子供の頃食べなかった?
ぽたぽた焼って名前じゃないのかしら。パリパリしてておいしいのよね。
あれ、なんでぽたぽた焼って名前なのかしら」
「名前はいいから、続きを話せ、前の男に言われた鬱陶しい話を。
それと煎餅はたいがいパリパリしてるから覚えとけ、とにかく続きを話せ」
「ん?あー、個包装のお煎餅でねパッケージの裏側に、おばあちゃんの知恵袋みたいなね、昔ながらの生活の知恵みたいな、ほんわかしたプチアドバイスが書いてあるのよ。
パッケージごと全部アドバイスの内容が違うの、じっくり読むと楽しいのよ。
例えばね、なんだったかしら、ほら。
お茶殻でお鍋の焦げを擦るときれいになりますよとか、お茶殻じゃなくて玉子の殻だったかしら。
違うわね、クレンザー?」
「ソノコ、クレンザーの話ももういいよ。
それにクレンザーを使って焦げを落とすのは、多分おばあちゃんの知恵袋には書いてないと思うよ」
「そうよねえ。
まあだからとにかくね、その前の前の彼氏に私、何かしら世話を焼いたのよね多分、忘れちゃったけど。とにかく、
『いちいちぽたぽた焼のばばあみたいで鬱陶しい』
って言われたのよねえ。
ばばあって、ひどくない?ぽたぽた焼のおばあちゃんに失礼よね」
「そっちなの?」
「そっちってどっち?タカシくんなに言ってるの?」
「ん、もういいよ大丈夫、わかったから。ソノコ、もうさ、もう他の男には知恵を授けないで」
煎餅の話が始まった時から『前の前の彼氏』という言葉につまづき、煎餅や鍋の焦げどころではない胸中であろうタカシが、不安げにソノコの頬を撫で、可笑しかった。
リョウは頬の内側を強く噛み笑いを堪えた。
再び箸をつけてみれば「普通に旨い」ポークソテーをリョウは完食し、ソノコが淹れた濃いコーヒーを飲み、三人でじゃんけんをしてチョコレートを選んで食べた。
ソノコは一回戦で早々に負け、(ソノコは無自覚でチョキばかりだす)三番目に、柚子のチョコレートを選び、
「ほろ苦い!柚子大好き!これ絶対一番おいしいわ、勝負に負けて試合に勝ったわ、私。また二人に買ってきてあげる」
笑っていた。
二番目に、柑橘類に目がないタカシはピスタチオのチョコレートを選んで、
「うまい。ガリガリ君の味がする」
真顔で呟いた。
(舌が狂っている)眠そうな真顔のタカシを見つめリョウはその夜の、自分の態度を改めて振り返り反省した。タカシはタカシで末期の疲労を抱えていることにやっと気づいた。
(俺があの夜一番になって選んだチョコレートの名前はなんだったのだろう。塩の味がしたし、ピンクペッパーが一粒のっていた)
「運転危ないから、帰る前にお風呂に入って眠気を覚ましなさい」
と、ソノコがいつもの入浴剤を盛大にいれた、イランイランだ。白濁の浴槽に鼻まで沈んだ。眠くなった。
風呂から出ると照明を落としたリビングのソファーが、見るからに清潔なシーツを纏ったソファーベッドになっており、寝室から疲労まみれの野太いいびきが聞こえた。
リョウは「いや、泊まらないし」と言うつもりでソファーベッドに座った。立てなくなった。コトン。と、テーブルに見るからに冷えたアクエリアスのグラスをソノコが置いた。「いや、喉渇いてないし」と言うつもりで一気に飲み干した。潤った。いびきを聞きながら潤った呼気に「ごめん」を混ぜた。
「腹話術。私じゃなくてタカシくんに謝りなさいよ。明日」
ソノコがチョコレートのつまった口でモゴモゴ眠そうに呟いた。
「寝る直前にチョコレート」
「カカオ90だから大丈夫」
なにを言っているのかわからないし、瞼が本格的に重くなったからリョウは「おやすみ」と返しマイベッドに倒れ込んだ。眠りに落ちる直前「明日の朝食はなんだろう」と考えた。
【いつも、全部おいしかった。】より抜粋