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むにえな

猫に餓え渇く者は幸いである。
その者は満たされるであろう。

猫は仕えるためでなく仕えられるために来られた。
天の国は猫のような者のためにある。

私たちではなく、猫よ、私たちではなく、御名が尊まれますように。

秋の愁いの相対性理論

寒くなってきましたね。上着も布団も増えていく季節。
夏の間は「暑いの苦手だから夏はイヤ」と言っていたけれど、冬になったら今度は「寒いのは好きじゃないし雪はイヤ」と言い出すことになるんだろうなと我が身を思っている。
文句が多いのは困ったことだねぇ。

『遊んでいるときには/せまいせまいというて/遊んでいる/朝会のときに石を拾わされると/広い広いというて/拾うている』
とある小学4年生が書いた詩だと立正佼成会の人が教えてくれた。
とてもよく状況が分かる素晴らしい詩だと思う。
仏教徒からすると、
「自分勝手な思い込みで『せまい』とか『広い』とか価値判断することをやめて事実を素直に受け取りましょう」
となる説法らしい。
実に有益な話ではある。

それでも夏には暑さに苦戦し冬には寒さに閉口するのが私の素直な気持ちだったりはする。
夏は海を楽しみ冬はスキーを楽しむ境地になれるのは、立派な聖人でなければ元から夏や冬が好きな人だったのでは、と余計なことを考えてしまう。まあ、言い訳である。
「ままならないなぁ」とかぼやきながら、おいしい旬の食材で料理でもして楽しむぐらいが私にできることか。鍋やおでんと温泉とか。
そう考えると冬になっていくのも、まあ、そんなには悪くないかな。

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