その男は精神啓発本を手に取り、真剣な眼差しで読み入っているようだった。
横目で表紙のタイトルを覗くと「閉ざされた時代の開かれた心」…とある。
私は、その男の、人目を引く異様な風体に混乱していた。
それでも、このコンビニという、日常を特化しようも無い場所で、開かれた心…を読み漁る男に私が興味を惹かれたのは、彼が、大凡、この場に居合わせた客の誰よりも、冷静沈着に見えたからだ。
その頭に被せられたティーバックを二度見してゆく者に対して、男はまるで無頓着だったし、仮にもし彼に、奇を衒う目的があったとすれば、私にはその悪趣味を見抜く洞察が用意されていた筈だ。
しかし彼の表情は元より、その挙措に於いても全く抜かりが無いばかりか、何と男は、並列に並ぶ二つのレジを振り向き、徐(おもむろ)に手を挙げ、店員を呼び付けたのだ。
招かれざる客の発する突然の声に、いよいよ、女子高生達の溜めた黄色い笑い声は、長方形の店内に奥まったスイーツコーナを経由し、雑貨の陳列棚へと一気にこだまする。
それでも、嬉々と響き渡るその嘲笑に、男はまるで怯まない。
それどころか、男の読書に懸ける身の入れようは益々ただ事ではないと見え、時に眉間に皺を寄せ、空いた手の人差し指を頬に宛がっては、神妙な気配で“開かれた心”を堂に入れんと試みている。
さて、寡黙な変態の、目立ち過ぎる頭の下着に当てられた子供たちの声の異変は、ここで初めて事の真相を知る他の客の関心までも取り込み始め、最早店内の目という目は、男が頭に被せた“鮮やかな赤”に占拠されてしまったらしい。