指先から世界が広がっていく…そんな感覚が好きだった。
描いた音符が、奏でる音が重なって、溶け合って、新しい音が身体中に満ちていく…柔らかな水の中に同化して、自分自身を忘れて一つになれる…そんな感覚が好きだった。
言の葉とは違う音の重みを奏でる指先に可能性を見出せなくなったのは、いつからだろうか?
音がどれも同じに聞こえるようになったのは、いつからだっただろうか?
私の耳が機能しなくなって…指先が、世界を忘れた。
私は空っぽになった。
私の中は、全てを失った。
それでもー…私はペンを握った。
音楽が、音が奏でる可能性は無限であると信じて。
最後まで私は離さなかった。
握ったペンの感覚が、指先の熱が消えるその瞬間まで。
“………あぁ、お願い。
この作品を書き上げるまでは…この音を聞くまではー……。”
私は死ねない。
死ぬわけにはいかないのだ。
力が入らない指先をスルリとくぐり抜け、ペンが床に落ちる。
カツー、ン…。
周りに反響する鈍い音。
それはまるで異世界の扉を叩くように、遠くの彼方に消えていったー…。