私の脳は1週間ぐらいの事しかキヲク出来ない。直ぐに忘れる。でもそれを不幸だなんて思ってない。だって私には愛してくれた男性が2人もいるんだから。

私の脳は1週間ぐらいの事しか記憶が出来ない。私にとって思い出とはとても儚く脆いものです。でも、それが不幸だなんて思ってない。だって私は、2人の男性にとても愛されて過ごすことが出来ているから。気づいている人もいるかもしれませんが、私は病気です。

私は今31歳。初めて結婚したのは20歳の時。当時高校生の時から付き合っていた、彼と2年間の交際を経て結婚しました。でも、私は病気の真っ最中。看護学校へ高校を卒業して進学した私は、直ぐに自殺未遂、死の淵へいった。死にかけてなお、生き延びれたのは親の愛情があったからこそなんだろうと今は思える。私は、親の涙を知らない。どんな思いで、黒く死にかけた私を救ってくださいと医師に頼んだのだろう。私は直ぐに記憶を消す電気治療を受けることになった。そんな事言われても、私には記憶が無い。教えてくれたのは旦那さんだった。

私は気づいたら病院で点滴を受けながら廊下を歩いていた。目の前にはナースステーション。直ぐに病院だと分かった。でも、何故入院しているのか、この点滴は何か全然分からなかった。急いで看護師さんに聞く。「私、何で点滴打ってるの?ここ何処?彼は?何があったの?」頭の中がパニックになった。答えは直ぐに返ってくる。「ひかるちゃん、自殺しようとしたのよ。死にかけたの。もう少しで死ぬところだったの。ひかるちゃん、ご飯食べなくなって2週間。拒食症なの。だから、点滴打ってるの。記憶が無いのは手術したからなのよ。彼は医師にお見舞いを禁止されてるの。」

後から気づいた。ココは精神科。閉鎖病棟。私は死に触れた人間、キヲクを消され何もかも覚えていない。どうして、なんで私が。学校は?何があったの?親は?何で拒食症なの?体重1週間で10キロも減ってるって、何?私は、精神科に入院したの?

入院している人達皆中学生や、高校生じゃん。なんで?こんな若い子達がどうして精神科に?私は入院患者さんに聞いた。「ひかるちゃん、入院したの2回目だよ?何て、キヲク無いから分からないよね。1回目退院した時、もう戻ぅて来ちゃダメだよ?って言ったのに。」そう教えてくれたのは、まだ中学生の女の子。その女の子の名前さえもう覚えていない。

私は必死にご飯を食べた。徐々に量が増えていく。順調に1ヶ月で退院。学校は辞めた。もう戻る気がないから。

コレから始まっていく闘病生活。いつか、書く機会があったら病院生活のこと、私の過去を話したいと思う。今回はコレからの出来事が物語の始まり…。