愛しのぴかそ

作者Kenworthy

この世に絶望と云うものが在るとすれば、きっと今の私たちだろう。


『ねぇ...こんな事ってある?  ねぇー! こんな事ってあるの???』


深い悲しみに震える妻の体を僕は必死で支えていた。自分も震えながら...出棺の後、息子が火葬された後であった。


それは、突然やってきた。


忘れもしない、2013年10月29日。


夜も明けきらぬ午前五時、その電話はかかってきた。


『もしもし、こちら愛知県警ですが、よしひとさんのご実家ですか?』


『はい』


『お母様ですか? 実は、先ほど息子さんが大学の寮で亡くなりました。』


『はっ・・・いっ???』


『しっかりしてください! ご子息が亡くなったんですよ!』


『ナニ言ってるんですか? 悪戯ですか?』


『しっかりして下さい! お母さん! とにかく至急、病院にお越しください。』


そう言うと、ガチャリと電話を切った。


妻の顔は、みるみる青ざめ、やがて崩れ落ちるように震えだした。


『なんや? どうしたんや?』


寝ぼけ眼でふと妻を見上げた。


『パパ...よしひとが...よしひとが亡くなったって...』


『はぁー? はぁー? なんでやねんっ! なんでやっ! ちよーなんやねんっ!』


あまりの出来事に頭と心が追いついていかない。


動転した心を落ち着かせるよう、タバコを吸う。


『パパ! タバコなんて吸ってる場合じゃないでしょ! よしひと迎いに行ってあげやんとっ! 今すぐ迎えに行ってあげやんとっ!!! 』


妻はそういって裸足のまま表に出て行った。


慌てて身支度をしてスヤスヤ眠る下の子達を起こし、車に乗せて家を飛び出した。


運転する僕の隣で気が狂ったように震え泣きじゃくる妻。


よしひとの涙のように降り注ぐ雨。。。


震える体をどうにか押さえ、僕は必死に病院を目指した。


約二時間の道のり、途中何度も涙で前が見えなくなり、妻の嗚咽に心が張り裂けそうに辛くて、ながいながい道のりだった。


幸い下の子達は、状況がわかっていないのか? 旅行気分でニコニコしていたのが、心の救いであった。


でも中学生のれいだけは、非常に険しい顔をしていた。


病院に着くと、妻が飛び降りるように車から出て、受付に走って行く。


僕も子供たちと後に続いた。


ICUの手前の待合には、すでに警察官と大学の先生がいらした。


神妙な面持ちで警察官と先生が近づいてきた。


『Yさんですね。こちらへどーぞ』


そう言うとICUの奥へと導かれた。


そこには、変わり果てたよしひとの姿が...


実際には、何も変わっていなかった。


奇麗に死に化粧され白装束に着替えられた息子、傷も何もなく綺麗な体、ただ静かに眠っているように見えた。


でも息がない...体が冷たい...胸の上で組んだ手の平が、とてつもなく硬かった...


この現実を目の当たりにして、僕は息が止まり、やがて涙も出なくなった。


辛すぎたのだ、とてもとても受け止める事が出来ないほど悲しかった。


僕は悲しすぎると涙も出なくなるらしい。


ただただ震えていた...経験した事のない魂の震えである。


妻は駄々をこねる赤ちゃんのように泣きじゃくり、よしひとの体を何度も何度も揺する。


『よしひとっ! ねぇーよっちゃんっ! おきなよっ! 何寝てるのっ? はやくおきなよっ! ちょっとっ!!! はやく起きてよーっ!よしひとっ!』


病院に響き渡るほどの声で何度も何度も息子の名を叫ぶ妻。


僕はその光景に耐え難いほど胸が張り裂けていた。


隣で医師が、たんたんと状況説明をしていたが、正直、なにを言っておられたのかも良く憶えていない。


時間が止まったようにその光景を眺めていた。


僕は無力なものだ。


悲しみにくれる妻を癒してもやれない。


かといって息子にしがみ付き、泣きじゃくることも出来ない。


隣には、険しい顔をしたれいが居た。


看護師さんが、れいそっとティッシュを渡した。


『泣いていいのよ...大好きなお兄ちゃんだったんでしょ?』



れいは、今まで抑えていたものが爆発したように床に崩れ落ち泣き震えた。


僕はその姿に、この子になんて想いをさせてしまったんだろう...こんな年でこんなに辛い経験をさせてしまった...


悔しさと悲しさ、やり切れなさで頭が変になりそうだった。


いや、変になっていたと思う。何度も過呼吸に襲われそうだった。


しかしいつまでもこうしている訳にもいかない。


病院側から事務的な説明を受け、早々に遺体の搬送を促された。


用意のいいもので そこには、ちゃんと葬儀屋さんが居た。


僕は、経験のない出来事に少々うろたえた。