男が新しく越してきた土地は自然が実に豊かだ。
彼は騒がしかった都会暮らしに疲れてこの地にやってきた。
人との関わりを避けたかったため、ほとんど山の中と言っても過言ではない。
朝は小鳥の囀りで目を覚ます。
昼は野良仕事。運が良ければ野生の獣だって見ることができる。
夜には森の奥からフクロウの鳴き声が夜の静けさを物語るようで、神聖な空間に迷い込んだように錯覚さえしてしまう。
以前に比べて確かに不便になったが、彼はこの生活に満足していた。
ある日、男は土地の散策をすべく森の奥へと足を踏み入れてみた。
『狼のねぐら』と称された場所であるので、用心のために猟銃を持ち出しておいた。
昼間であるにも関わらず少々うす暗い森の中は、葉の間から差し込む光がなければさぞ気味の悪い場所だったことだろう。
この森歩いていると、陰鬱で暗い童話を読んでいるような気分になってくる。
ここに探索に来ようと思い立った過去の自分を少々悔いながら、ひたすら進んで行った。
その後悔の念を天が聞き届けたのか。
しばらく歩いて行くと森が開け、日の光を大いに浴びることのできる明るい草原に出ることができた。
視界の端に何かが逃げる姿を捉えたが、恐らく野兎であろう。
鬱蒼とした閉塞感を開放するように大きく深呼吸をすると、陰鬱な気分が一気に吹き飛んだ。
胸一杯に広がる安堵をかみしめながら草原をぐるりと見渡していると、どこかでカッコウが鳴く声が聞こえた。
ふと、男の足元で土や草ではない何かを踏んだような感触があり視線を落とし、それを拾い上げてみた。
子供の手のひらの大きさにも満たない小さな紙切れだ。紙質から、どうやら古いものらしい。
周りが焦げていたりインクの劣化で、書いてある文字は一部しか読めない。
―‘僕の陽だまりよ。その声だけで、胸が暖かくなる。’
―‘この気持ちは、何なのだろう。’
どうやら恋文のようだ。
誰がどのように書き、どのようにしてこの場所に辿り着いたのだろう。
なんだか切ない気持ちになる。
様々な想像を巡らせながら男はそれを元の場所にそっと置き、さらに森の奥へと足を進めていった。