繭結理央


アンディを“旅立たせて”しまったことが罪なのか?

大悪党ともあろう者が情を肯んじたことが罪なのか?

前者を選べば“アンディの旅立ち”という悲劇が浮き彫りとなる。

後者を選べば“ギルバートの改心”という未来が浮き彫りとなる。

喜びの時間の末に待ち受けていた、1人の少女の悲劇に浸りたければ前者を。

悲劇の先に光り輝くかも知れない、1人の悪党の未来を探りたければ後者を。

直接的な捉え方か、逆説的な捉え方か……読者の理屈が問われそう。

いや、それとも……。

自分自身の“ニーズ”にあわせて読み方に選択肢を拵え、ああだこうだとシタリ顔で論うことが、思わしくない筋違いのような気さえしてくる。幼気(いたいけ)な真情で読むことのほうが最善のような気さえ。

だけど、この“幼気”というのが難しい。読了後の余韻もそこそこに、充分とも余分ともわからない理屈を捏ね、あげく立派な批評家の顔をしたがる私ったら偉そうに。

ああ……それだけ私は“罪”を重ねてきたというわけか。

だとすれば、どうか、この童話を“犠牲のアンディ”とはしませんように。