信長上洛時、観音寺城を追われた佐々木義賢には三人の姫がいた。一の姫は能登の畠山義綱室。しかし、家臣団の分裂により、お家は衰退、子は毒殺され、孫も不審な死を遂げた。二の姫は伊勢の北畠具親室になっている。叔母夫婦はじめ一族13名が信長に粛清された後、夫とお家再興の旗揚げをして五箇山に戦い、戦況不利な中で、夫を助けようと、夫の鎧・兜に身を纏い、信雄軍を誘い出し、極まって人馬もろとも櫛田川に身を投じた。三の姫は公家舟橋秀賢の室であったため戦乱の渦に呑み込まれることはなかった。義賢にはこの他に、数人の養女や猶子がいた。中でも、本願寺如春尼は三条公頼の実子、細川晴元の養女、義賢の猶子という形式をふんで顕如に嫁いだ。また、宇治の茶師・上林五郎八の室も義賢の養女であった。このような歴史的背景や個々人の壮絶な人生をバッサリ切り捨てるのが痛快娯楽作品の真骨頂であるが、本書はその手法を採らない。