美術部のひとつ上の先輩は、『クロエの香り』がする人だった。
「このシャンプーね、クロエの香りってやつなんだあ。私のお気に入り。ねえ中村、覚えといてよ」
それから僕の中で、先輩の匂いは『クロエの香り』になった。
「中村はきっと、上京して美大へ行くし、将来は美術に関係する……そうだな、画商とか、そういう仕事をするよ。きっとね」
先輩にそう言われてから一年と少し後、結局僕は上京して美大へ進学したし、卒業してからは小さな美術品の会社で画商として働く日々を過ごしている。
一枚の絵だけを残して先輩がいなくなった高校二年の秋のあの日。
それからずっと、探しても見つからない先輩の『クロエの香り』。
ある日、仕事で個展巡りをするもなかなか思うような出会いがなかったときに、ふと目に入った一枚の絵。
背後で鳴るドアベル。
そして室内へ吹き込んでくる風。
その風は、先輩の『クロエの香り』がした。