141 ライブ
こんにちは。
久しぶりにライブへ行ってきました。もうどれ位ぶりだろう。2019年12月ぶりだろうか。
途中コロナで中止になったライブもあり……やっと聞きに行くことが叶ったライブです。
入場の列に並ぶことも、綺麗に並べられアルファベットと数字の書かれた椅子を見るのも久しぶりで、会場に入っても、席についても実感が無かった。本当にやるのかな?くらいな感覚。
開演時間が近づいてくると、ホールにロスコが炊かれ甘い煙の匂いがして来てやっと、あぁライブってこうだったなぁと、記憶が揺す振られた。
ライブは照明の演出を最大限に生かすために、煙を焚いて空気に色が付くようにする。その匂いが独特で。
私が大学の演劇部で初めて出演した時を思い出す。それまで高校演劇だったら、そんな効果を使うはずもなく、またその時分はロスコの噴霧器なんてレンタルしていなかった。なのでアメリカで買い付けてきたというた劇団の方に借りたのだ。界隈の学生劇団は、どこも借りていたと思う。(レンタル料金もロスコ液も高かった)
初めて自分の手で組んだイントレやビール箱や箱馬で土台を作り、バンセンで暗幕や1キロの照明を吊るし完全暗転する小屋で、初めての本番前、緊張の中嗅いだ匂い。そして偶然にもその時の芝居が始まりに流す音楽(私たちは近奏・きんそう、と読んでいましたが)が今回ライブを聞きに来たミュージシャンと同じなのです。
あの時、自分の指がどこにあるのかも分からない暗闇で、芝居が始まるのを息が出来ないほど緊張して待っていた感覚。やはり匂いと言うのは、直接脳に繋がっているというけれど、本当だと実感する。
客席のライトが足早にフェールドアウトして、ライブが始まる。
彼女のすごい所は、小屋の隅々まで彼女で満たされるところ。隅の隅の角っこや、複雑な形の照明を吊るすグリップの形や、観客の髪の毛の一本一本まで彼女と言う名の海水に満たされ、泡も好き間もなく浸かってしまう。他にもすごい歌い手はいるのだけど、この感覚が生まれるのは彼女だけ。
ホールの天井に空を見せる人もいた、晴れた夜空にキラキラした雨を見せた人もいた。ホール全体がパーティー会場やテーマパークのように見せてくれた人もいた。うねる龍を見せてくれたドラマーもいたなぁ。でもどれもこの感覚はなかった。柔軟に形を変え余すところなく満たされ、溺れそうなほどなのに息が出来る感覚。これは唯一無二。今年の野外ステージを見た人は「ひん死の魚や小動物なら息を吹き返すほど」と賞していたけれど、言いたい事は似ているのかもしれない。
彼女のライブに初めて行ったのが多分2000年だろうか?そこから一度もその感覚が失われない。
最後の最後まで彼女のエネルギーを浴びて、ただ座って曲を聞いて拍手をしていただけなのに、疲れ切ってしまって帰りはくたくただった。
久しぶりに大音量の音楽を聴いたというのもあるだろうけれど。プラスして前段階にした行動も疲れた原因だろう。
新しい物を摂取するのにまだストレスを感じてしまう状態なのに、午前中、ライブに同行する友達と車でお使いに行く道中に、手を付けていなかった今日ライブでやるアルバムを聞いてしまったのだ。買ったなら早く聞けという話だけれど、私は好きすぎて聞けない・読めないという症状があって。厄介な病気です。
しかも今回は、自ら聞いていないのに、先日の友達の葬儀でそのアルバムをご家族が流されていたので……その記憶もあって、なかなか聞けなかったのです。
でももうタイムリミットギリギリだと車中、腹をくくって聞いたのですが、歌詞や気持ちを理解しようと脳がグルグルと動くので……疲れたんでしょうね。好きすぎると理解しようとするスピードがコントロールできないから、そのせいもあって心が疲れている無理だと、今まで遠ざけていたのでしょう。
でもこうやって、夏休み終わりの宿題の気分で、急き立てられるように新しい物を摂取したことは事実だけれど、もっと体調が整っていないなら聞かないままライブに行ったはず。
作業部屋で縫物をしている時に見るアニメも初見のものに手を出し始めたところだったので、きっと気持ちは復活する方向にはあるんでしょうね。
……まぁ見ながら、何がそんなに人気が出ている要因なのかをずっと考えてしまっているので、疲れはするのですが。
明日は今日の続きのような……そんな用事を済ませてきます。
その話はまた明日。
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