こんにちは。
とある有名ラノベ原作のアニメを最後まで見ていなかったので、やっと見たのですが。
どうしても主人公が意識が無くなるとか、離ればなれになるとか、主要キャラが亡くなってしまうとか……そういう展開が来ると、続けて見られなくなってしまって、続きを見るまでの思い切りがつかないのです。
同じ理由で途中で見るのを中断してしまっているお話が他にもあります……が、頑張って見ますよ、気持ちが落ち着けば……
最後まで見て色々と感想はあるのですが、一番は「このシーン、原作ではどのような表現で書いているんだろう?」とか不明な設定が出て来ると「原作では書かれているのだろうか?」と、物語とは外れたところが気になってしまって。
原作も実はアニメよりも先に読んでいたのだけど、ほぼアニメと同じところで読むのを止めてしまっていたので、気になるシーンなどは原作を読んでいないのです。
設定に矛盾を感じると、原作ではその矛盾を埋める説明があるのだろうか?とか、もしあったとしても無かったとしても、ここで主人公よりも強い存在を作らないとラストにふさわしい盛り上がりが作れないから仕方がないよねぇ、と思ったり。また、作者は物語をずっと脳のどこかで物語を考えながら生活をしていて、その書きたいポイントまでの期間コツコツと長い時間を費やし物語を進めるので、頭の中では一瞬でも、文字に起こす作業は一瞬じゃない。だから読者には唐突なこともあったりして「ここの人間関係は急に進展しているなぁ」と思ったり。嫌ですね……無意識にそういう事を考えて物語を見るの。
別の無意識ですが、ふいに少し前に他界された方が声を当てていて……出てくると思っていなかったから、不意打ちを食らって泣いてしまった。あぁ、生きてる……って。そしてこの物語のなかのキャラクターの様に、笑顔だけ残して消えてしまった。
……まぁこれは余談です。
純粋にお話を見た時、感想は「面白かった」というより「すごいな、頑張ったな、最後は辛かっただろうな」でした。やっぱり作者の方に寄ってしまうんですね。
必然のラストだった気もするのですが、その必然を提示して読者が受け入れるかどうかというのは別の問題。やはり、読者には見たいモノ、裏切って欲しくない方向があって。もちろん良い裏切りもあるんですけどね。良い裏切りが出来るのが良い作品で、見せたいモノを見せて最高にわくわくさせるのが名作じゃないのかなぁと思ったり。
それでも観客の感じ方や好みや没入度はそれぞれですから……そこも難しいですけどね。どの趣味嗜好の人をターゲットにしているかという所でジャッジするのでしょうね、商行的には。
前に同作品の劇場版を見た時、他者の記憶の中にいる自分も人格を形作る要因の一つである、というようなコンセプトがあったと思うのですが、同じコンセプトがこの作品のラストにも使われていて、特赦の根底に流れているものは変らないのだなぁ、と。なのに死んだ者を、生身は無理だとしてもデータとして生き返らせることのできないというのも信念があるのだなぁ、と思ったり。それが作者の考える人が人として存在するための尊厳の一つなのでしょう。
長編の物語を長年付き合ってしまうと、見終わった後もずしりと重いですね。
また別の話ですが……声優さんに限らず役者をやっていると運命の役に巡り合う事があって、その運命の役に巡り合ってしまうと、普段なら取り込まないところまで自分と融合させてしまうというか、自然に溶け合ってしまう……みたいな現象があると思うのです。「ハマり役」というのとは似ているけれどちょっと違う。
素直な役者さんだと自分の事じゃないのに、世間でのキャラクターに対する風当たりを自分の事のように悩んで弁解したり、ひねくれている役者さんだと、出来るだけキャラクターに関して触れなくなる。ファンの中には同一視されるのが嫌な人も、目がハートになる人もいるんだろうけれど。
そういう役者さんがいる作品は、大ヒットしているなぁと。ヒットしているから思い入れが出来る……のかもしれませんが、結果が出る前に音入れは終わっていますからね。
この作品の主人公も、他作品のイベント映像やラジオを聴くに、うじうじ悩むし考えすぎてショートするけど、やり切らなければいけない時に出し切るところとか、キャラクターとはまったんだなぁと感心しんがら見ていました。
なかなか書くには難しいバランスのキャラクターだなぁと。二番煎じからはきっと書けば嫌われるだろうし。やっぱりパイオニアはすごいなぁ。それをさらっとほぼ新人で演じきったの役者さんもすごいなぁ。もちろん選んだ人もすごい。
という感想でした。(作文か)