海のお魚ちゃん買えるかな?
11月7日(火)
夜中、パラガス先生が処方してくださったおくすりを飲んだり、貝だしジャスミン茶漬けや御抹茶入りの栗の煎茶をいただいて、日課をこなして、朝になり、昨日の強風で傾いてしまっていたホワイトクリスマスとカミーユとローズ・ド・メの鉢植えを起こして置いて、朝の窓辺やお庭などの灌水作業などを済ませて、麗しの園の美しい朝の空模様を眺めながら、わたしはしばしその景色をターナーのような色彩で思い描くのでした。
銀灰色のムーンストーンのような雲にはちみつ色の朝陽が溶け込むようになじみ、木々の風に揺れる木の葉が梧桐などは黄金色に変わりゆき、やがて落葉するのでしょう。深まる秋の美しき景色は色鮮やかな優しいニュアンスカラーでお互いを引き立てたり、差し色になったりと……窓辺からの景色は一体感があります。
ゆらぎカラーの朝陽からの木洩れ日は風に揺れてさわさわと木々の枝葉を揺らせて、花々は美しい大輪の花をこぼれるように咲かせて、おかあさまへの感謝の気持ちをあらわしているかのようです。
待降節の前の今くらいのデロリアンにまつわる季節はそんな母親への気持ちをあらわしているのかもしれません。
秋の過ごしやすい気温はとても落ち着いた気分にわたしをいざなうプレリュードのようなもので、ここから一日のはじまりの音色を奏でてゆくのでしょう。ええ、今日も……。
そして本日のパラガス流モーニングティー・セレモニーはりんごとアプリコットと紅葉のラトナピュラにミヒェルゼンのシナモン・キャンディスにダルメインのアップル&ブランデーマーマレードをひとさじ加えてティー・ウィズ・ミルクでベラベッカ・アルザシオンといただいて、大黒屋とエカテリーナ二世の紅茶月にふさわしいロシアンティーを楽しむのでした。それは海運の守護聖人に護られたのでしょう。その美しきモーニングティー・セレモニーは後の世に語り継がれ、まことの海にまつわる美しき慈しみの物語なのですから。
それは大黒屋とエカテリーナ・ベルのティー・セレモニーで茶の儀式と呼ばれるシンデレラ城でのお茶会です。
それはそれとして……レルミナ錠を服薬は昨日の十一月六日の末の弟のお誕生日の夜に生理が来たので、これは七日の朝食前に飲んでも良いのかわからずに、まずリリアベル薬局にお電話して、処方してくださったおくすりを飲むのか生理中は休止するのかお聞きしましたら、病院にお電話してくださった方が良いですと言われたので、次はてんつく病院にお電話して、産婦人科につないでもらい、先生に聞いていただきまして、生理中も飲み続けてくださいとのことでしたので、そろそろ本日のレルミナ錠を服薬して、しっかり治療しないとお天道様に顔向け出来ないなぁなどと、わたしを昔から支えてもらった友人や同人友達に肉親などへの何よりのご恩返しです。ですからわたしはしっかり治療に励まないといけません。
そしてわたしは程よい温かみのあるりんごとアプリコットと紅葉のラトナピュラの何煎目かは忘れましたが、そのほとんどおさゆのお茶で、レルミナ錠を服薬して、投薬治療に励むのでした。
りんごとアプリコットと紅葉のラトナピュラのお味はとても優しく穏やかな同人友達達の古くからの友愛を彩る慈しみの愛情のお味で、わたしは同人友達達の事を思い浮かべては、心からの感謝の気持ちを神さまと聖母子像とミュゲのビスク陶器のキャンドルの前でロザリオの祈りと聖書を英語で読んで、英文に触れて学ぶのでした。病床ではこれがなによりのお勉強となります。
そしてレルミナ錠を服薬してまもなくのどの気道周辺が塞がるような症状が出始めたので、わたしはパラガス先生が処方してくださったおくすりをお水で飲み、点鼻薬を使い、トローチを一錠取り出して口に含み、ガレット・デ・ロワの傍らに置いていた不織布のマスクを装着すると、しっかり休養して、体力を温存しないとこの長期戦で身体がもたないななどと思うのでした。
しかしこれらの症状の出方として、やはりレルミナ錠の副作用であるので、十二月にパラガス・クリニックに通院するときはその日の診察の先生にパラガス先生が処方してくださったおくすりを粉薬と錠薬、それに点鼻薬とトローチも処方してもらって、リリアベル薬局で受け取り、おくすり手帳に記録しなくてはなりませんね。つまり通院の医療費は今より少し多めに予算を見積もる必要がありますね。無駄遣いはできませんねということです。
そしてまたパラガス先生が処方してくださったおくすりとかは速やかに効いてきて、わたしはゆっくりとしたお天気の変わり目を窓辺から眺めながら、やがてニュアンスカラーの時折小雨がぱらつくお天気から秋晴れの青空へと変化してゆく……とても美しい空模様の変化を病床より眺めていきまして、ああ、とても秋らしい美しい青空へと移ろいゆく光景は自然の芸術的なアートなのだと、カミーユや大輪の花をこぼれるように咲かせているいちごホイップの花鉢を見つめながら……モネの佇まいの絵画のように感じるお天気という芸術作品を鑑賞しているような気分になりました。
わたしの心景色はこのような自然とのふれあいから彩りゆたかに描かれてゆく絵画のようだと改めてそんな事を考えておりました。
らんらんちにみんなのナポリタンと御抹茶入りの栗の煎茶を調理したり、煎れたりして、それをいただいて、しばらくゆっくりと移ろいゆく美しい秋晴れの空を眺めて、しばらく椅子の上で、禅な正座で起きているように心がけております。
身体が多少しんどく感じていても、こうしてなるべく起きて、椅子の上で正座したり、階段ののぼりおりを繰り返したりして、今までの日常のようにそれを心がけてゆかないと、こんな調子で今から投薬治療がつらいからと休んでばかりいたら、半年後は更に基礎体力が落ちてしまい、寝たきりみたいになってしまいますからね。
きちんと日常生活を取り戻して、はやくいつものような日常に戻していかないと、本当に今からしっかりとしたビジョンを描いていかないと、投薬治療でうまくいくものも成果があがらず、せっかくの医療と貴重なおくすり類なども無駄遣いしてしまうような生活では、病は気からになってしまいます。
本当にしっかりして生きていかなければ、今からこんな調子ではいけません。
わたしは軽いごく日常に向いた運動をこなしながら、しばしば椅子の上で正座したりして禅な午後をおじいさまの窓辺からの太陽が煌めくような美しい秋風にゆらぐ木々の音色に耳を澄ませて、平常心を取り戻そうと、あれこれ精神統一することを心がけたりと、色々試せることはチャレンジしつつ、それらはあくまでほどほどの範囲でするように決めて、疲れてきたら、しっかりベッドで休養して、また同じことを繰り返したりして日々を過ごしてゆく事を心がけて、秋風爽やかな青空に煌めくお天道様がひときわわたしの心を正しい行いや模範へとこれから先の人生を真っ当に、煌めく人生へとより良い航跡で導いてゆくのでしょう。
わたしはそんな風におじいさまの窓辺からの景色を眺めながら、考えて、学ぶのです。先祖伝来のこの麗しの窓辺から……本当にわたしは多くのことをガーデニングから学び、それらを正しい方向性で描き続けて生きてきた人生です。
様々な慈しみや愛情ゆたかな人々に支えられて生きて、こうして今も日々を精一杯生きて、それはわたしといういのちが続く限り途絶えることもないようにと、襟を正して、日々をより良く過ごすことにつとめていかないといけないなと、今日のようなお天道様が描く空模様からわたしはそんな事を考えて、日記に記して、聖書を英語で読んで、英文になじみ、美しい英語の文章が組み立てられるようにと、聖書から多くの分かち合いの恵みの部分をこうして学び、受け取り、自分自身の力で考えて、文章力を身につけてゆく……それは長年変わることもなく、幼い頃より自然と続けてきたことなのです。
本当に……今から投薬治療でしょげているようでは、先が思いやられるかなと、おじいさまの窓辺からのこぼれるようにきらきらと煌めいて輝き、秋風爽やかに木々の枝葉をさわさわとした音色でゆらぐ……この芸術的な光景が、わたしにそう……ごく自然にそれらを教えてくれているようで、わたしは多くの事をこのお庭の景色から学び、育んで、こうして生きてきたのだと、自分自身の襟を正して考えさせるような……そんな清らかで清涼感に満ちた秋の景色が広がってゆくのだと、わたしの心景色をとてもそれらは落ち着かせて、すぐさまわたしを平常心という日常生活へと戻してくれるような……そんな人生のとても大切な学びがいの多い一日だなぁと色々な事を考えて、しっかりとした足取りで過ごせる日常への戻りへのターニングポイントなのでしょうか。
わたしは今日というとても素晴らしい日からそんな風に学び、考えて、日々を精一杯生きてゆこうと思い、そしてそれが続いていくようにと理路整然と青写真を描くように緻密に組み立てて生きていかなければいけないのだと思うことしきりで……とても素敵なお天気に移ろいゆくお庭の風景をただただじっと見つめながら考えた、とてもしっかりと、そして落ち着き払った清々しいまでに何かの気の迷いの部分が精神面から吹っ切れたような……秋らしい冷涼な秋風が吹いて、木々が美しい風の音色を奏でて、彩りゆたかに描かれてゆく……そのとても美しい景色にわたしはとても励まされて、心打たれるように感動した……実り多き小鳥たちがさえずり羽ばたいてゆく……本当に綺麗な青空にお天気は移ろい……そしてわたしを日常へと導いてくれる……そんな優しくも温かみのある空模様からわたしが感じ取るように描いたビジョンを大切に生きていかなければならないなと……自分自身に言い聞かせるように襟を正して前を見つめ、きちんと生きていける……そんな風に思う程に美しい景色が広がってゆくのでした。
わたしはちょっとしたピクニック&パーリーをイングリッシュマフィンと御抹茶入りの栗の煎茶と一緒にお庭の景色を眺めながら、遅めのアフタヌーンティー代わりにいただくと、しばしの休息と安らぎのせせらぎの音色が風にこだまするかのように、悠々と秋の午後のひとときをとても幸福な気持ちで過ごして、後片付けをすませて、寝室に戻るとパラガス先生が処方してくださったおくすりをお水で飲んで、点鼻薬を使い、トローチも一錠取り出して口に含み、不織布のマスクを装着すると、しばしの間、きちんと休養して、心穏やかに窓辺からの景色を眺めながら、安心感に満ちた幸せな時間を謳歌するのでした。
人生は短い……そう英語をわたしに教えてくださった神父さんとのクリスマスティー・セレモニーで……そんなセネカでしたっけ。わたしは哲学的な想いを胸に帰国されたわたしの英語の先生である神父さんの授業を色々思い出しながら、秋祭りに寄ってくださり、そのあたたかで大きな手のひらで、子供のわたしの頭を優しくなでてくださり、絵をほめてくださったことなども……この十一月だからそんなことも思い出して、神父さんを懐かしむのでした。
帰国したら厳しいところに行くとおっしゃっておられましたので、今頃は修道院などで過ごされていらっしゃるのでしょうか。神学校の神父さんの住所にエアメールでグリーティングカードにメッセージを書いて、おもたせの南天のアフタヌーンティーを同封して封緘して、英語で封筒にエアメール用の宛先、差出人、それにエアメールの文章を書き添えて、モンマルトル通り三丁目の郵便局から投函したことも……今年ももうそんなクリスマスのお手紙の準備をする季節になり、とても一年ははやく過ぎ去ってしまうものです。
神父さんとカトリック教会で英語を教えてもらったり、お茶会をしたり……わたしは最近それらの出来事がとても懐かしくて、神父さんの優しい笑顔の元で育まれたわたしの英語力はこうして役立てることができるのだと、感謝の気持ちで英語で聖書を読みながら、聖母子像に時折あたたかな視線を向けながら、待降節の近い……このクリスマスのお手紙やクリスマスプレゼントの小包などを準備してはお手紙を書いて、モンマルトル通り三丁目の郵便局からエアメールで投函したことも今となってはとても楽しい季節に今年も移ろいゆくのだと実感するのでした。
そしておゆうごはんの海のお魚ちゃんにふくやの明太子に紫蘇に冬しんじょうにみかんに湯豆腐に御抹茶入りの栗の煎茶といただいて、パラガス先生のおくすりを飲んで、しっかりとした睡眠時間をとるのでした。
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