寺治爽子「合鍵」に寄せて
謎めける秘すれば花の彼岸には鬼音と轟く寺治爽子
彼女のライヴを下北沢で初めて観た帰り、私は直ぐに彼女についての短歌を、そう綴ったと記憶している。
予想に反して彼女は紅の衣装。筋金入りの鍵盤捌き。鬼。私も自身の中の怪物が表情に出る程、彼女の音に己の精神を蠢かされていた。
自身のライヴ後であった。帰宅して直ぐに、購入した合鍵をCDプレーヤーに入れた。流れる鍵盤のメロディ。彼女のメロディだと、音だと、判別出来る程のあのメロディ。2曲目、シオン。CDプレーヤーの調子が可笑しい。いや、寺治爽子が可笑しい。音飛びが激しい。止まる。彼女が躊躇う。聴かせてくれない。CDプレーヤーを私は思わず、一度、止めて、再び、再生する。
どうした。寺治爽子。俺に聴かれるのが、言葉を並べられるのが、綴られるのが、怖いか………。なぁ………。それとも、出し惜しみか………。
彼女の歌は、詩文は、悲劇的だ。暗い。しかし、悲劇も遠方から観ずれば、喜劇だと、ヒトラーを演じた、ステッキを持った、黒い男の言葉にあるように、悲劇も喜劇として乗り越えられるのは世の摂理である。遠方のあなたの不幸を負けるなと笑い飛ばしてくれる人。その様な人間が居ない社会は閉塞する。暗い。多くの人間の精神の奥底は暗いであろう。現代社会の成す、愚鈍と世間の阿呆面の産物。暗い。そして、その奥底に届かない音はもっと暗い。寺治爽子の音は奥底に届く。精神の奈落に届く。詰まり、彼女の音は…………。そう。明るい。
合鍵を捨ててしまえば
合鍵を私は捨てるだろうか。果たして、捨てるだろうか。持ってても、持ってなくても、変わらない。どうにかなる。どうにかなる様に出来ている。其れが世の中だ。真理だ。どっちに転んでも大差はない。其れより、あなたの中の扉の鍵が問題だ。それだ。その扉の鍵だけは、しっかり、持っている事だ。合鍵もそう謂った意味では要らない。その鍵はあなたにだけ、必要なのだから。
彼女のライヴを初めて観た帰りに、私が才能を認める年下の子たちも沢山、居るので、私はもう居なくても良いだろと呟いた。
「生きよ」
彼女はそう、私に言葉を綴った。三文字のありふれた、言葉であった。生きていた。言葉が。刻まれた。私にその、三文字の言葉が。彼女のその言葉には、間違いなく力があった。その何気なく、しかし、確かに、放った言葉に。
彼女の詩文には霊妙を感じる。グッと私の精神に深まる、留まる、古典的な、日本的な、確かな詩(うた)が、霊言が、其処にある。
寺治爽子。彼女の伸び代は広く。広大な表現の海原を是からも旅して行く事であろう。
ぼんやりと、私の頭に、彼女の秘された顔と、ひとつの詩が浮かんだので、綴って置く。
潮に異香、薫ずれば
海に微妙の蜃気楼
伊良子清白「孔雀船」
舵を取れ。寺治爽子。行け。
2019 7/30 朝日奈利昌
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