表現する、人を愛する、
その、能動的な行動、
それにブレーキを掛けてしまうことが、
病的な思考なんだろうな、と
今まで私は、
表現したいと思う気持ちの方が、
いささか病的だと思っていた面があり、
その、根深いゆがんだ認識を、
無意識レベルから引っこ抜こうとしており、
そもそも、生きとし生けるもの、
みな、表現者であるということ、
どんな仕事においても、
どれだけ単純に見えて
クリエイティブとは程遠い作業に見えても、
そこを通して己の表現が発生している、
そこを理解してない、
自己表現する必要がないと思って
安心していた今の環境も、
なにげに、実は、表現してて、
それぞれの個性もあって、
こんなお仕事誰でも出来ると思ってたけど、
そうでもなかったりもして、
この仕事を通して自分の良さを、
活かせない人もいたりして、
私も別に首の皮一枚で繋がってるだけで、
敵性はあんまりないとは思うんですけどね。
元々入れ替わりが激しいこの場所で、
なんか、今更、改めて思ったのは
己を正しくありのままに受け入れて、
それを素直に表現することこそが、
人に迷惑を掛けない生き方の、
体現なのだ、ということ。
表現。
書けども書けども、
私が出来ていた表現は
頑張ってるアピールだけだった
気がする
頑張ってるアピール
私生活をいいわけにして
頑張りはするけど、その方向が的外れ
要求される基準には遠くいたらず
あれーまたやっちゃった、ぐふふふ、
と笑ってごまかす
でも。
私は頑張ってるんです、
結果がどうであれ、頑張ってるんです、
だから、許されるでしょ?
と、、、
このままでいいのか、私は?
と思う気持ちが発生していることを、
受け入れてよいのか?
受け入れていいわけですよ。
別に。
神様は何も禁止なんかしてないわけであり。
(つまり、私はもっと、人を愛したいんだと思う)