改稿履歴とその他
こんばんは。
年も明けて早一ヶ月、直近の活動を振り返ります。
「nil」
鋭意改稿作業中です。
完了次第、随時ページを公開しており、今の章はおそらくあと30ページ程度でおわるのではとみています。
「好きを暴いて」
昨年夏で更新を一旦止めていますが、改稿に注力しているだけなので頭の片隅には常にある状態です。
今年もゆるやかに続けて参ります。
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風呂に浸かりながら「インド映画 インターバル」で調べていました。風呂場にスマホを持ち込んでいることについてはさておき、インド映画って長いんです。2時間以上は、ある。だから区切りのいい(?)ところで小休憩が挟まれるんですね。そんな風に、人生においてもインターバルがほしい。学生時代、特に大学時代をモラトリアムと喩えることがありますが、社会人になってもほしくないですか?ロング・ロング・モラトリアム。
以前X(旧Twitter)で「人生にもインストルメンタルがあるといい」と投稿しました。モラトリアムというと、猶予ありきのもので、それには焦燥や後ろめたさにも似たネガティブなイメージがついてまわるので、あえて、派手さはないかもしれないが停滞しているわけではない、地続きな生活の一つでそれを表すものとして、アルバムの中盤に収録されているようなインストに例えたかったんだと思います。
自分の生活には自分のタイミングでインストを挟み込みたい。そして、そういう、ある種ターニングポイントに差し掛かる時期に文章を書きたくなるのかもしれない。そんなことを「インド映画 インターバル」と調べた後に考えていました。
これもX(旧Twitter)で投稿したような気がする。何本も長編小説を書いていると共通点が見えてくるわけで、自分の場合は、自由への、あるいは独立したうえで自ら勝ち取る自由に飢えているんじゃないかと、最近になって具体的に見えてきました。上の方に書いたインストを〜に通じることでもあるんですが、自分の生活をハンドリングするのはやはり自分であって、となると、物事の最終判断は可能な限りは常に自分優先で推し進めていきたいと思うところ。でも現実はそうもいかないので、それなら、その現実と対峙する時どうしたら心折られずにいられるか……ということに焦点を置く小説が、今書いているやつなのだろうか。
最近になって、現実と対峙することは腹を括ることだったり、覚悟を決めることに近いような気がしています。妥協、よりは前向きなニュアンスです。これも小説の中で深掘りしたいと考えている。
とりとめがなくなってきました。ちなみに好きなインストはACIDMANのアルバムに入ってるような透明感ある曲です。聴こう!
それでは。
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