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桐野アオ

多忙につき活動半休止中
今はNILの改稿・再公開を中心に進めています
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2024/4/20-
Privatter+にて「水深計でも測り得ない」を公開しました。

改稿履歴とその他

こんばんは。
年も明けて早一ヶ月、直近の活動を振り返ります。

「nil」
鋭意改稿作業中です。
完了次第、随時ページを公開しており、今の章はおそらくあと30ページ程度でおわるのではないかなとみています。
「好きを暴いて」
昨年夏で更新を一旦止めていますが、改稿に注力しているだけなので頭の片隅には常にある状態です。

今年もゆるやかに続けて参ります。
以下、あまり小説に関係のないこと。

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つい数時間前まで風呂に浸かりながら「インド映画 インターバル」で調べていました。風呂場にスマホを持ち込んでいることについてはさておき、インド映画って長いんですよ。2時間以上はあるんです。だから区切りのいい(?)ところで小休憩が挟まれるんですね。そんな風に、人生においてもインターバルがほしい。ほしいわけです。学生時代、主に大学時代をモラトリアムなどと喩えたり揶揄することがあるかもしれないんですが、社会人になってもほしくないですか?ロングロングモラトリアム。
以前X(旧Twitter)で「人生にもインストルメンタルがあるといい」と投稿しました。モラトリアムというと、猶予ありきのもので焦燥や後ろめたさに似たネガティブなイメージがついてまわるので、あえてここでは、アルバムタイトルほどの派手さはないかもしれない、でも停滞しているわけでは決してない。地続きな生活の一つでそれを表すものとして、一枚のアルバムの中盤に収録されてるようなインストに例えたかったんだと思います。今も変わらない。そして自分の生活には自分のタイミングでインストを挟み込みたい。でもって、そういう、ある種ターニングポイントに差し掛かる時期に自分は文章を書きたくなるのかもしれない。そんなことを「インド映画 インターバル」と調べた後に考えていました。

これもX(旧Twitter)で投稿したと思うのですが、さすがに何本も長編小説を書いているとそれなりに共通点が見えてくるわけで、自分の場合は、自由への、あるいは独立したうえで自ら勝ち取る自由に飢えているだったりするんじゃないかと、最近になってより具体的に見えてきました。少し上の方で書いたインストを〜…に通じることなんですが、自分の生活をハンドリングするのは自分であり、最終判断は可能な限りは常に自分優先で推し進めていきたい、そうあってほしい。でも現実はそうも言っていられないわけで、じゃあその現実と対面する時どうしたら心折られずにいられるかということに焦点を置いている小説が「好きを暴いて」だったりする。だからどれだけ時間が経ってもやっぱり書きたいなあとはつくづく思います。最近になって、現実と対峙することは腹を括ることだったり、覚悟を決めることに近いような気がしています。妥協、よりは前向きなニュアンスです。これも小説の中で深掘りしたいと考えている。

とりとめがなくなってきました。ちなみに私はACIDMANのインスト曲が好きです。聴こう!

それでは。

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