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むにえな

猫に餓え渇く者は幸いである。
その者は満たされるであろう。

猫は仕えるためでなく仕えられるために来られた。
天の国は猫のような者のためにある。

私たちではなく、猫よ、私たちではなく、御名が尊まれますように。

聖書のパウロを見ていると

新約聖書を読んでいると大活躍してると思ってたパウロが意外と教会に受け入れられてなくてなかなか面白い。パウロの話がいまいち受け入れられなくてテモテとかが行ってなんとかしたような気もするなぁ。ヤコブが「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの人であってはなりません。御言葉を聞いても行わない者がいれば、その人は、自分の生まれつきの顔を鏡で映して見る人に似ています」と述べたのも(ヤコブの手紙1:22-23)読んだ感じだと「パウロは信仰だけが大切だと言ってるけど行ないも大切だよなぁ」と修正を入れている感じに思うしね。言うほどパウロは受け入れられてたのかしら。

「あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強気になる、と思われている、この私パウロが」(コリントの信徒への手紙二1:1)とか「パウロの手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」(コリントの信徒への手紙10:10)とかを見る感じだと、どうやらパウロはマネジメントが苦手だったんじゃないかなぁとか妄想できてけっこう楽しい。使徒言行録20:9なんかだと「エウティコと言う青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた」とか書いてあって「パウロの話はどれだけつまらないんだよ」という感想になるね。

それはそれとして新約聖書の書簡の部分はパウロが書いたものがけっこうあるみたいなので影響力はあったんだろうな。もしくは後世の人からすると正統に値すると思われる何かがあったんだろうなぁ。

あと、パウロがすごいというよりパウロを受け入れた教会がすごいと思う。プーチンがウクライナに帰化するようなもんだからねぇ。まあ、聖書でも最初はパウロが嫌がられてた描写があったけど。

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