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むにえな

猫に餓え渇く者は幸いである。
その者は満たされるであろう。

猫は仕えるためでなく仕えられるために来られた。
天の国は猫のような者のためにある。

私たちではなく、猫よ、私たちではなく、御名が尊まれますように。

桜の季節

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

西行法師が詠んだ和歌ですね。西行は(現代風に言うと)桜推しだったので和歌で桜を読みまくったのだとか。それまで和歌で「花」というと梅を指してたけどこれが「桜」の意味へと変わっていったのは西行も一因である、とか読んだことはあるけど裏付けなどは分からない。まあ、それほど桜が好きだったようで。

言語の変化に特殊化というものがあるんだけどこれの例が花見の「花」だね。このときの花は桜を指すだろうけど花という概念の中で桜という特殊なものを指すようになった。

「特殊化があるなら一般化もあるんだろう」と思った人は勉強のセンスがある。たとえば瀬戸物。陶磁器を指すわけだけどいろんな産地があった中で尾張の瀬戸で作られたものが特に有名だった。それで瀬戸物で陶磁器全般を指すようになっていったんだとか。

これで面白いのは下落の例の「貴様」かな。文字からすれば敬称にしか見えないけど、陳腐化するうちに悪い意味になったらしい。元はいい意味だったとか。この逆の上昇はたとえば「ヤバい」なのであとは各自で考えてみて。

西行は出家するときに泣いてすがる我が子を悪魔扱いして突き飛ばしたとかなんとか聞いたことがあるなぁ。ヤバいね。どちらかというと悪い意味で。まあ、それをいうならお釈迦様からして王子という身分と妻や子どもを捨てて出家したので伝統芸なのかもしれぬ。そういえば仏という言葉の変遷を見るのも楽しいものだ。ヤバいね。いい意味で。

コメント

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  • むにえな

    碧泣。さん

    言葉は身近で誰もが使っているのにきちんと向き合うと分からないことだらけで面白いものですよね。変化していったり変わらないものもあったりと興味は尽きないですね。

  • 碧泣。

    今晩は、確かに昔と今で意味合いとかが違う言葉ってありますよね、『いとをかし』のをかし、とか『つとめて』とかもそうかな? 古文の授業の時に感じたなぁ。。。
    言葉は生きていて、使う人達によって変化していくんだなぁ、と。
    そう考えると、方言のズレも面白いなぁと思ったことがありますよ、四国に行った時、方言が広島と大阪足して2で割ったような言葉の人がたくさんいて、ちょっとずつ混じるんだ面白いなぁと。
    人の数と場所と時間で変化する言葉って、趣深いですね。