『死ぬほど読書』
丹羽宇一郎の『死ぬほど読書』を読み終わった。本屋でたまたま見かけてタイトルのシンプルさに惹かれた。まえがきで「読書したくないならしなくてもよい。意義を感じる勉強やバイトに精を出せばいい」との言があり、ただのつまらないお説教じゃなさそうだなと。心に残ったとこを書いていく。
「習うより慣れろ」の話で寿司職人養成スクールの話が出てきた。スクールなら3ヶ月で卒業できるが職人の世界だと3年も経ってようやく玉子を焼かせてもらえるぐらい。「背中を見て技を盗め」より教えることに力を入れるのもありでは、といった論旨。
分からんでもない。「背中を見て学べというのは技術を言葉にして説明できない人の言い訳だ」といってた人もいるぐらいだしね。
でもなんとなくなんだけど「修行に来た雲水がルンバでお堂を掃除しながらお経を暗記している」のを見たときのような複雑な感情も覚えるといえばまぁあるなぁ。妙な美意識なのかもしれないけどね。
読書だけでなく仕事をして社会に揉まれることの大切さも述べていた。「象牙の塔にこもって学問ばかりやってる学者はどうなのよ?」ってとこだろう。まあ、確かに生活の知恵や実感というのもあるし何かに秀でてきた人の持つ迫力というものはあるけど「学問だって仕事のひとつじゃないかなぁ」という気はするっちゃするね。
でも憲法に関して学説や判例の豊富な知識をもって繊細な主張をする人より「戦争する国づくりを許すな!」とか「9条を守って死にたくない」とかの、ある意味で浅はかで幼稚で感情的な、でも同時にその人の生活実感から出た素直で心からの言葉のほうが人に訴える力があるのかもしれないね。
仕事の大切さを述べているくだりはシンプルに分からなかった。働く必要のないお金持ちは本当は不幸だなんて言ってるけど、それは一種の宗教だよなぁ。この手の説教をしたがる人は多いけどそう思う人は勝手に働けばいいだけである。まあ、立派かもしれないけど興味の湧かない意見だね。
どちらかというと賛同するところより批判的なところのほうが感想が思いつくね。
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