それは罪だった【続編】

作者那岐

5年前、父方の祖父母を亡くした私。
今回、母方の祖母の死を経験することになり、
また新たな思いにとらわれる。

ー死とは、終わりなのだろうか。

ー5年後の春。私はまた罪に直面していた。此処は緩和ケア病棟の個室。末期癌のホスピスだ。

南310号室ー

其処が母方の祖母の終の住処となった。


祖母の辛さ、親族の看病を分かってあげられない事が、既に私の罪だった。


告知は半年前で、丁度半年が経っていた。

病室に入って、まず驚いた。


ー誰なの?


ふっくらした顔の面影も無くて、

本当に祖母だと信じられない憔悴振りだった。

骨と皮だけ…息を必死にしていて、

生きたいんだと、まだ死にたくなかったと、

その、瞳が物語っていた。


痩せ礼賛社会だけれど、『痩せたい』なんて

言えなくなって、食欲が、沸かなくなった。


もうその、顔を見ているだけで、泣けてきた。

でも、堪える。

前回の父方の祖母の時は、苦しんで亡くなったから、大泣きしてしまったけれど、もう泣かないと決めたのだ。


元気だった頃の祖母を思い出していたー

落書き帳を買ってくれたこと、

手羽先料理が得意だったこと、

本を買ってくれたこと


大人になってからは

オードブルでもてなそうとしてくれたこと、

短歌入りの葉書をくれたこと、

マグカップのプレゼントに喜んでくれたこと。


その祖母と、今の祖母を見比べると、もう涙ぐむのを止めるので必死だった。

ー今日辺りと思って下さい、と看護師さんに、言われた。


祖母は全く眠らない。それが辛かった。

寝てしまえば起きない、とでも言うように。

今まで元気だった人…

衰えてしまった様子を見るのは、辛かった。


夜は家族部屋で、交代に寝泊まりをした。

翌日も変わらない1日で。

祖母は気力だけで、保っているようだった。


半年間、母は毎週金土の休みを利用して、

祖母の、看病に明け暮れていた。大変だったと思う。名古屋から神戸の往復だけでも、疲れると思ったけれど、介護師をやっていて今はケアマネージャーなので、沢山の死を看取ったのだと思う。