兜町今昔録

兜町の象徴だった証券取引所の株式売買立合場が、平成十一年四月、百二十年の歴史に幕を閉じた。閉鎖の理由は売買システム取引銘柄の増大に伴って、立会い銘柄は徐々に減少し、特に前年三月には全銘柄をシステム取引の対象にした事で、立会場の取引は全体の六%程度に低下し、一方維持費は年間三億円を突破しビックバン(金融大改革)の波による市場間競争激化に備えてのコスト引き下げの為の処置と云うのであった。


此の立合場の閉場はGHQ指令の空白時代から再開された昭和二十四年五月十六日以来幾多の買い占め劇や莫大な資産を稼ぎ出す人や、判断の失敗で逃げ出し自殺した人等など多くの生臭いドラマが繰り広げられて来た所で、関係者を始めとし投資家の方々からも時代の流れとは云え強く惜しまれ寂しがられ、兜町独特の手サインで株式売買をしていた最高時、約一千五百人いた “場立ち達は完全に姿を消してしまった。一時、空き家になった1800平方メ-トルの空間面積跡地だけがポッンと残り、再利用案にはビャホ-ルかダンホ-ルにしたらどうかと耳を疑う“ 珍案” まで飛び出した結果、現在既にテレビや広報等でお馴染みの近代設備機能を整えた新世紀のシンボル・アプローチマーケットセンター “ 東証アローズ” として姿を顕している。

 然し、若き時代に場立ちをしていた自分にとって何か空虚しい感じと今静かに目を閉じると当時の想い出が走馬灯のごとく蘇って来る。此の修羅場の戦場の屋根の下に集まる場立ち達は仕事から離れると競争相手の敵味方ではなく不思議な連帯意識が沸き親子兄弟意識に変わり不思議なパイプに繋がれた同夢関係が築かれいた所でもあった。

そして古きしきたりに似た封建意識と先輩後輩の規律や人情入り乱れ、 駆け引きも盛んな貪欲な仕手戦の戦略が蠢いていた魂が鎮座していた所でもあった。此処に我が兜町人生の半世紀を過ごした歴史の中、兜町独特の生活風習や蠢いた多くの偉人・奇人・変人・凡人の仲間たちと記憶を基に顧り見て知られざる秘話も交えて語らせて戴き、後世の証券マンの語り種となる事を願い、また一般投資家には兜町の貪欲な世界の陰に潜んだ多くの千軍万馬の武将達の悲喜劇のドラマを餓鬼大将の人生を通じて知って戴き何にかを感じて戴ければ幸いである。

 文中、小生の恥部も懺悔を込めて筆にし、登場するお方の敬称を略し、あえて齟齬を用い感情表現を強調し、傷つき顰蹙怒り心頭に達する御仁も有るや否や?此れ筆の戯れとおぼしめし、赤裸々な部分は仮想の人物をドキメントなドラマチック描写で書いたものと寛大な気持ちで乱文・雑筆、お許し戴き、ご笑読下さる事を願うと同時に、発刊に際して多数の情報資料を揃え、ご尽力を賜った諸先輩方や友人に畏敬の念を捧げ感謝を述べる者である。