遠野ましろ
わたしについて
レビューは自分が“面白い”と思った作品に。
見所伸びしろがあると感じた作品のみに書くスタンスだ。
(昔は宣伝貰った作品に順に、が大方のマナーの悪さに辟易し、以降は己の感覚頼み)
傑作に、とかく感動にうち震えるまま。
レビュー欄に「何だそれ」場の空気を変える目的で一本強めのを投下することも。
私は考えたい。
考えて頂きたいのだ。
受け売りだが、批評とは年に数百本以上精読する人レベルが行えること。
私含め多くの人が勘違いをしているが。
読書不足、思考力欠如。
意見=偏見、私見。
くれぐれも私見が絶対的正義などとは思わないことだ。
異なるものに触れる。
理由を考える。
突き詰める。
好きだと思った方向に徹底的に走ること。
小説のレベルアップを求むならば書籍だけを読めばいい話。
それでも携帯小説を読むのはやっぱり、人間としての輝きがそこにあるからだ。
面白いと思うことに空気など読みたくない。
何年前の作品だろうが書く、2008年が最後のレビューだろうが無論例外ではない。
面白いと思う感覚、遠慮などする必要がどこにある?